大学(大学院も含む)は、一体何をする所なのだろうか。
『中央公論』二月号は、「大学の敗北」を特集している。歯切れの良い養老猛司さん(元東大教授・解剖学者、今「虫少年!?」)が「東大よ「世間」に背を向けよ」という趣旨を70歳を過ぎた「勝手にしやがれ」の立場からボンボン言っている。
こういう好きなことを言っていれば長生きするだろうな、と思う。
私は、たまたま京大に入ってから総長「訓示」や教授講義等で「大学は真理の追求の場」と言われても、初めは正直ピンと来なかった。社会に出て就職するための通過機関と思っていた。
ところが、当時、たまたま「安保闘争」(1960年)の時期だったせいもあるが、毎日毎晩、口角泡を飛ばして「ああだ、こうだ」の議論の日々、色々友人の口から出てくる本を読んでいないと恥ずかしいので、直ぐに岩波文庫等で買って慌てて読んで、前から知っているがごとくに次の日には議論に参加、という日々だった。
たまたま総合大学だったので、経済学部、法学部、文学部などの講義にもぐりこんで高名な教授の講義を聞くも、さっぱり分からない。でも、こういうのが学問なのか、と高校までと全然と言っていいほど違う雰囲気に少しずつ慣れていった。また、教養部の先生方の話は面白いものが多かった。
でも、養老さんが言っているが、東大をはじめとする旧制帝大でも明治以降、実学中心で、学生の大半には学問・研究する場ではなく、法学部は「官吏養成所」、医学部は「医者養成所」だったと言っている。現在の東大医学部は、全国トップの偏差値の理系学生が入ってくるが、医学部のカリキュラムは医師養成のため全国一律で、まあ、東大医学部では6年かかって「お利口さん」を「お馬鹿さん」に引き下げているようなものだ、とも言っている。
まあ、要するに「研究大学」と「官吏・医者養成大学」などを区別せよ、ということらしい。勿論、これらは並列であって上下の序列ではない。一面では、そう思うが、他方、現在の国民の「民主主義」理解では中々難しい。全国に同じようなダム、空港が出来ていくのが今までのシステムで大学もその線に乗ってきたのだ。今後は、どう変わるのだろうか。見守っていきたい。
まあ、継続的な研究や勉強が好きな人は、偏差値などにとらわれず(少しは「並行」しているが、)旧制大学系(+旧制高専系)に行ったほうが良いのかな。体験から言って・・・。
『中央公論』二月号は、「大学の敗北」を特集している。歯切れの良い養老猛司さん(元東大教授・解剖学者、今「虫少年!?」)が「東大よ「世間」に背を向けよ」という趣旨を70歳を過ぎた「勝手にしやがれ」の立場からボンボン言っている。
こういう好きなことを言っていれば長生きするだろうな、と思う。
私は、たまたま京大に入ってから総長「訓示」や教授講義等で「大学は真理の追求の場」と言われても、初めは正直ピンと来なかった。社会に出て就職するための通過機関と思っていた。
ところが、当時、たまたま「安保闘争」(1960年)の時期だったせいもあるが、毎日毎晩、口角泡を飛ばして「ああだ、こうだ」の議論の日々、色々友人の口から出てくる本を読んでいないと恥ずかしいので、直ぐに岩波文庫等で買って慌てて読んで、前から知っているがごとくに次の日には議論に参加、という日々だった。
たまたま総合大学だったので、経済学部、法学部、文学部などの講義にもぐりこんで高名な教授の講義を聞くも、さっぱり分からない。でも、こういうのが学問なのか、と高校までと全然と言っていいほど違う雰囲気に少しずつ慣れていった。また、教養部の先生方の話は面白いものが多かった。
でも、養老さんが言っているが、東大をはじめとする旧制帝大でも明治以降、実学中心で、学生の大半には学問・研究する場ではなく、法学部は「官吏養成所」、医学部は「医者養成所」だったと言っている。現在の東大医学部は、全国トップの偏差値の理系学生が入ってくるが、医学部のカリキュラムは医師養成のため全国一律で、まあ、東大医学部では6年かかって「お利口さん」を「お馬鹿さん」に引き下げているようなものだ、とも言っている。
まあ、要するに「研究大学」と「官吏・医者養成大学」などを区別せよ、ということらしい。勿論、これらは並列であって上下の序列ではない。一面では、そう思うが、他方、現在の国民の「民主主義」理解では中々難しい。全国に同じようなダム、空港が出来ていくのが今までのシステムで大学もその線に乗ってきたのだ。今後は、どう変わるのだろうか。見守っていきたい。
まあ、継続的な研究や勉強が好きな人は、偏差値などにとらわれず(少しは「並行」しているが、)旧制大学系(+旧制高専系)に行ったほうが良いのかな。体験から言って・・・。
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