最近は、表題のような「つながり」でものを考えている。つまり、健康、医療のことを考えると「医食同源」「薬食同源」で食い物のあり方にリンク、次に食い物は何処から来るかと言うと、農業、農地、農村から来る。農村のあり方は都市のあり方と無関係ではなく、そうなってくると国土全体に目配りが必要になってくるのである。
そういう文脈の中で、今日は、自然農についての講演会を聞きに近畿大学・農学部(奈良市、近鉄・富雄よりアプローチ)に行ってきた。自然農の実践家の川口由一(かわぐち・よしかず)さんの講演である。
川口さんは、1939年生まれで私より二歳上、中卒後、農家の長男として農業を引き継ぐ、農薬を使った農業の中で心身の状態を損ねたことをきっかけに自然と共生する農業のあり方を模索、1970年代中盤から自然農に取り組み30年余に及ぶ。
演題は、「-海、山、野は一つの生命界にして夫々の世界-「野における完結した自然農」」であった。多数のスライド、多くは実践の多様な場面を使った「とつとつとした」、しかし実践に裏付けられたはっきりした口調。目からうろこ、「なるほど、なるほど」と思って聞いた。
自然農に近いものに有機農があるが、やはり考え方が違うと思った。とにかく、一口で言えば「何も足さない(化学肥料、農薬は勿論、堆肥すら加えない)、何も引かない(雑草や虫などの生き物を敵として除かない)」農業なのである。
「えー、じゃ栄養分はどうなるの?」-冬草、夏草などの枯れたもの、微生物の死んだものが堆積されて、いわば「肥料」となる。命が次の命を育てるのだ。
「では、いわゆる害虫はどう考えるの?」-例えば、稲にとって今まで最大の害虫ともいうべきウンカも、稲の横にある低い草の方に行き、又、稗が横にあると、そちらが好きで稲に来ない、回りに何もないと稲がやられるのだ。-と。(これは、私の質問に対する、川口さんの答え)
稲も収穫し、脱穀したら後の稲わらは元に戻す、土に返す。このようにして何年もすると、「生物の死骸」が堆積して「豊穣の土壌」になる、と川口さん。
しかし、採集農業ではなく栽培農業である以上、まったく手を加えないのではなく、稲より雑草が強くなる様子がみえると、少し考えて雑草を間引く(例えば、稲の列に沿う雑草列の一列おきとか)、また当然、稲の成長のためには、水の管理が必要なのである。
別に、私は「収量」のことも聞いてみたが、「無理に肥料をやれば、沢山とれるかもしらないが(それを、じゃがいもに例えて、大きなじゃがいもが出来るかもしれないが)、肥料自体をつくるエネルギーのことを考えると、自然に出来るものには無理がなく、人間にとっても最もふさわしいものではないか」、といった趣旨を言われた。
まあ、自然農で出来る範囲で生活するのが自然ということだろう。
司会の池山甲一さんは最後に「今までの農学とまったく反対の考え方・・・」と思わず言われた。(私は「今までは、農学栄えて農業滅ぶだな」とそっとつぶやいた)
でも、この川口さんを講師にリクエストしたのは、近大農学部の学生と言う。今日も、授業の一環かもしれないが沢山の農学部の学生が聞きに来ていた、質問も結構していた。「感性の料理人」さんに聞くと、6年ほど前、川口さんが京大農学部でも講演したことがあり、その時も学生で「超満員」だったらしい。こういう若者が将来、農業を支えてくれるといいなあ、と思った。
次の近畿大学の若月利之さんの、アフリカに日本の水田技術を持ち込んで食糧難を緩和する話も、現状がわかって、それなりの意味があったが、最後に閉会の挨拶をされた櫻谷 保之さんが「アフリカでも川口さんのいう自然農が展開できたら・・・」と言われたが、自然農を世界化することこそ大事と思った。勿論、アフリカの自然・風土、それに合った作物の選定、環境の植物、動物、微生物の状況をみて「栽培方法」を工夫すべきは、論を待たない。
そういう文脈の中で、今日は、自然農についての講演会を聞きに近畿大学・農学部(奈良市、近鉄・富雄よりアプローチ)に行ってきた。自然農の実践家の川口由一(かわぐち・よしかず)さんの講演である。
川口さんは、1939年生まれで私より二歳上、中卒後、農家の長男として農業を引き継ぐ、農薬を使った農業の中で心身の状態を損ねたことをきっかけに自然と共生する農業のあり方を模索、1970年代中盤から自然農に取り組み30年余に及ぶ。
演題は、「-海、山、野は一つの生命界にして夫々の世界-「野における完結した自然農」」であった。多数のスライド、多くは実践の多様な場面を使った「とつとつとした」、しかし実践に裏付けられたはっきりした口調。目からうろこ、「なるほど、なるほど」と思って聞いた。
自然農に近いものに有機農があるが、やはり考え方が違うと思った。とにかく、一口で言えば「何も足さない(化学肥料、農薬は勿論、堆肥すら加えない)、何も引かない(雑草や虫などの生き物を敵として除かない)」農業なのである。
「えー、じゃ栄養分はどうなるの?」-冬草、夏草などの枯れたもの、微生物の死んだものが堆積されて、いわば「肥料」となる。命が次の命を育てるのだ。
「では、いわゆる害虫はどう考えるの?」-例えば、稲にとって今まで最大の害虫ともいうべきウンカも、稲の横にある低い草の方に行き、又、稗が横にあると、そちらが好きで稲に来ない、回りに何もないと稲がやられるのだ。-と。(これは、私の質問に対する、川口さんの答え)
稲も収穫し、脱穀したら後の稲わらは元に戻す、土に返す。このようにして何年もすると、「生物の死骸」が堆積して「豊穣の土壌」になる、と川口さん。
しかし、採集農業ではなく栽培農業である以上、まったく手を加えないのではなく、稲より雑草が強くなる様子がみえると、少し考えて雑草を間引く(例えば、稲の列に沿う雑草列の一列おきとか)、また当然、稲の成長のためには、水の管理が必要なのである。
別に、私は「収量」のことも聞いてみたが、「無理に肥料をやれば、沢山とれるかもしらないが(それを、じゃがいもに例えて、大きなじゃがいもが出来るかもしれないが)、肥料自体をつくるエネルギーのことを考えると、自然に出来るものには無理がなく、人間にとっても最もふさわしいものではないか」、といった趣旨を言われた。
まあ、自然農で出来る範囲で生活するのが自然ということだろう。
司会の池山甲一さんは最後に「今までの農学とまったく反対の考え方・・・」と思わず言われた。(私は「今までは、農学栄えて農業滅ぶだな」とそっとつぶやいた)
でも、この川口さんを講師にリクエストしたのは、近大農学部の学生と言う。今日も、授業の一環かもしれないが沢山の農学部の学生が聞きに来ていた、質問も結構していた。「感性の料理人」さんに聞くと、6年ほど前、川口さんが京大農学部でも講演したことがあり、その時も学生で「超満員」だったらしい。こういう若者が将来、農業を支えてくれるといいなあ、と思った。
次の近畿大学の若月利之さんの、アフリカに日本の水田技術を持ち込んで食糧難を緩和する話も、現状がわかって、それなりの意味があったが、最後に閉会の挨拶をされた櫻谷 保之さんが「アフリカでも川口さんのいう自然農が展開できたら・・・」と言われたが、自然農を世界化することこそ大事と思った。勿論、アフリカの自然・風土、それに合った作物の選定、環境の植物、動物、微生物の状況をみて「栽培方法」を工夫すべきは、論を待たない。
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