西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

田中 光君の思い出

2005-09-08 | 諸先生・諸先輩・同輩・諸後輩の思い出
金沢工業大学教授だった田中 光君が亡くなったと知ったのは、最近のことである。田中 光君は、京大建築の同期生で、増田友也先生の研究室の出身、私と同じ頃に京大助手をしていた。増田先生が京大体育館等を手がけていた頃、その手伝いをしていたと思う。彼は広島の福山の出身で兄貴の田中 喬さんは同じ建築学科の助教授だった。広島の福山というと西山卯三先生の先生の武田吾一先生や前田敏男先生(京大総長、建築学会会長歴任)の先生で聴竹居を設計した藤井厚二先生の出身地でもある。彼も建築家を目指し、金沢工大に行って実際に色々設計して活躍した。彼が金沢工大に行ったのと私が奈良女子大に移ったのとは同じ1974年4月である。彼は私より若干背が高くすらりとしていた。京都で金沢、奈良と別れるとき、私が郷里の金沢へ、ダンディな田中君が奈良へ、というのも面白いと話し合った。
彼は金沢で自邸や中村 武君の生家の改築計画をした。私は拙著『キラッと輝くいい住まい』に建築家の自邸の例で田中光邸を紹介した。一人息子を可愛がっていたが増築も頭に入れた鉄筋コンクリート打ち放しの家で2階から遥かかなたの日本海が見えた。彼は今やこの日本海の彼方(西方)に飛び去ったと思うと何とも言えず淋しい。

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