西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

美の壺→「窓の美」より学ぶ

2011-07-15 | 思いつきから仮説へ
テレビ(ビデオ)で「美の壺ー窓の美」(File215)を見た。途中、何度か一時停止にして画面を固定して分析、解釈を行った。演ずる俳優は草刈正夫だったが大分「老けて」きた感じ、もちろん、まだまだ「二枚目」だが・・・。

番組では、「窓の美」を三つに分けて説明した。
(1)窓が建物の個性をあらわす
(2)窓が風景を生けどる
(3)窓が演出する光を味わう。

それぞれの項目で例を出して説明していたが、それぞれで「説明」を越えて感じることがあった。ここでは、その一つを述べておく。 (2)窓が風景を生けどる。この「生けどる」という言葉の使い方は、今まで聞いたことがない。『広辞苑』を調べても未だ載っていない。で、実際、和風の窓を京都や奈良の寺院等の例で出している。最初に、詩仙堂の庭を見る視点を写真家が説明、庭の「さつき」に焦点をあてて眺めたり写真を写すためには、縁側に近づくと、背景の木立や大空が視野に入って手前の「さつき」が浮き上がらない。そのため、少し下がって部屋の端から眺めたり写真を写すと、木立や大空は「カット」されて「さつき」に焦点が当たるという訳だ。

まあ、和風の場合は、窓は間戸であり、外の風景を切り取る額縁である。それは、その通りだが、先の写真家のように、部屋の隅からの視点が唯一ではないのは当然だ。木立をより見たい人もいるだろうし、大空をみたい人もいるのだ。視点の位置だけでなく高さも様々である。立って見る、座って見る、寝て見る等だ。

状況も色々で、例えば、この和室で死に目を迎えた人は、恐らく縁側に近い畳の上の布団に寝ている視点から大空、木立、「さつき」など全てが見えなくてはならないだろう。何故なら、そこから「大空」に「帰って行く」のであるから・・・。

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1 コメント

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同感 (とおりすがり)
2011-07-20 08:33:44
今ちょうど番組見て同じこと考えてました。写真家の位置はあまりいいとも思えませんでした。屋敷が入りすぎて、庭の迫力が欠けてしまったような気がしました。日本の庭は座敷の真中に座って見るように造っているって造園家から聞いたことも。とはいえ、人によって美しい位置が変わることもおっしゃるとおりだと思います。
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