今戸焼の土人形のお雛様の中で、最もポピュラーであったと思われる裃雛。画像の人形のような群青色をふんだんに使った配色のものは、天保年間から登場しているのではないかと思いますが、天保年間には赤部分に鉛丹や朱色を塗っていたのではないかと思います。画像一枚目の人形たちの赤はスカーレット染料で塗られているので、明治に入ってから、或いはスカーレット染料は幕末には使われていた、という意見も耳にしたことがあるので、維新より少し前には導入されていたかと考えることもできるかもしれません。
いずれにしてもスカーレット染料の歴史を調べた上で改めて判断すべきかもしれません。画像にはありませんが、スカーレット染料の赤以外にも洋紅顔料を使っているものもみられます。2枚目の画像の一対は裃やうち掛け部分はバイオレットの染料、着物部分は洋紅顔料で塗られています。
江戸後期の裃雛に比べると、型も崩れてきていますし、彫りも甘くなっています。しかしどちらかというと、このような人形こそいかにも大量生産されていた今戸人形という感じがしませんでしょうか?
群青の上には砂子(真鍮粉)が撒かれています。墨で襟の線を描いたものと、群青を胡粉で薄めた水色を置いたものと襟元の表現が二通りみられます。
それぞれの人形の面描きを比べてみると、さまざまな筆致の違いがわかります。今戸の土人形生産では全工程をひとりの人間が行う場合もあったかもしれませんが、成形、素焼きまでを行う「木地屋」と問屋を介して、手内職で絵付けを行う人達との分業体制もあったようですから(落語「骨の賽」(今戸の狐)にもその様子が出てきます。)面描きの癖の違いがあっても当然のようです。
裃雛には大小いろいろな大きさも見られますし、女雛の髪型の異なるもの(中央に見られるような)もあり、またバリエーションとして団扇を持っているものなども出土品には見られます。
また動物を擬人化した座り姿の人形類などは、これらの裃雛をもとに頭を作り替えてできた原型も少なくないのではないかと想像しているのですがどうでしょうか?
木地屋といって土から素焼きをする専門の家もたくさんあったでしょうから、同じような構図でも微妙な違いがあったり、彩色の内職をする人もいろいろいたようなので顔の面描きの癖も違ってきますし、同じようでひとつとして全く同じものがない、というところが手仕事のおもしろいところだと思います。