最後の生粋の今戸人形師といわれた尾張屋・金澤春吉翁(明治元年~昭和19年)のお作りになられた今戸焼の土人形です。これらは、明治の終わりに今戸人形の需要が低下したため、人形作りをやめ、箱庭細工師となられた後、関東大震災の後に掘り出した型を使って人形製作を再開されてからの作です。
しかし、今戸焼の代表的なお雛様である裃雛の配色についても、群青を主とした配色や砂子(真鍮粉)をふりかける装飾など、天保年間以来のやり方を墨朱されていることがわかります。
明治出来の裃雛の赤部分にはスカーレット染料が使われているのに対し、春吉翁がお使いになっている朱色はむしろ天保年間の発色に近いものではないかと想像していますがどうでしょうか?(男雛の顔を肌色に塗っている点については不明ですが、、。)
また、春吉翁は色違いの手の込んだ彩色も遺されています。裃部分に松竹梅の模様を描き込んだり、女雛のうち掛けに桜の模様を描き込むなど骨の折れる描彩です。こうした裃雛の絵付けは春吉翁の工夫によるものなのか、あるいはこうしたものも作られていたのかはわかりませんが、模様のパターン自体はそれ以前の今戸人形に部分的に散見できるものです。