東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

にんぎょう日本 '22 7月 NO.572 (日本人形協会)

2022-06-27 04:38:05 | 今戸人形(今戸焼 土人形 浅草 隅田川)

 しばらく郵便受けをさわるのを忘れていたらパンパンになっていて、一度きに取り出そうとしたら函ごとハズレてしまいそうで両手を塞がれるとヤブ蚊に襲われそうなのでパニクりながら数度に分けて取り出しました。健康診断のお知らせだの公共料金の支払い、選挙のチラシに混ざっていたのがこの冊子です。

 先月だったか?いつもお世話になっているTV「何でも鑑定団」で人形玩具についての鑑定でご活躍されている林 直輝さんが冊子の連載を執筆されているエッセイスト・食文化研究家の向笠千恵子さんがはるばるお越しくださっていつも土いじりをしている我が家の狭い上がり框に椅子をお出しして現場をご覧いただいた折の記事が掲載されていました。それと葛飾区青砥のお煎餅屋さんの「神田淡平」さんの煎餅作りで使用される今戸焼製の鏝(こて)を作っていらっしゃった実質最後の今戸焼やさんだった青砥の内山英良さんのことも記されていて、自分がかつてはじめて葛飾区内で操業されていた白井善次郎本家の白井和夫さん(お花茶屋)と内山さんを訪ねてお話を聞かせていただいた二十代だった頃を思い出しました。当時は興味の中心が郷土人形としての今戸人形に傾いていたので折角お聞かせいただいた内容を一生懸命ノートしていたのに予習が足りず勿体ないことでした。それでも近所の工事現場から掘り出された土が敷地内に山となっていて、片や錦絵に描かれているようなダルマ風の窯、一方で戦前の尾張屋 金澤春吉翁の使用されていたキセル窯がある景色にはビックリしました。一般世間的にはこれら実質最後の今戸焼屋さんはあまり紹介されていなかったような気がします。その原因のひとつは郷土玩具の愛好家たちが戦中に廃絶してしまった尾張屋さんの人形から型どりさせて人形作りを勧めた家ばかりに焦点があてられており、マスコミもそれに追従していたかの様相だったからではないでしょうか。今戸焼の焙烙や入谷朝顔市や四万六千日のほおづき市の赤い素焼きの植木鉢は葛飾の今戸焼屋さんによって支えられていたようです。今ではプラスチック製の鉢に替わっていますが、その生産者の方もかつては今戸焼の旧家の流れの筋の方だったようです。最近まで墨田区足立区辺りの雑貨屋荒物屋でかつての今戸焼の焙烙や植木鉢の在庫が残っている家がありました。実用のための供給だったから製品に「今戸焼」とロゴを入れていないのが当たり前だったのでしょう。そういうことを久しぶりに思い出すきっかけになったし、淡平さんをお訪ねしてお話を伺ったり、淡平さんがわざわざ家のお越しくださったこともありました。淡平さんからいただいたお煎餅の鏝も先に駒場のべにや民藝店で作品展をやらせていただいた折に作品の横に展示させてもらい、お客さまとお煎餅の話にもなりました。

 掲載くださってありがとうございました。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿