東京の土人形 今戸焼? 今戸人形? いまどき人形 つれづれ

昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

丸〆猫(まるしめのねこ)⑭

2010-03-31 20:09:08 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

054 丸〆猫についていろいろと記してきたのですが、丸〆は猫だけではないんですね。画像は一見何の変哲もない今戸焼の裃狐の土人形なのですが、(しかし、狐にしては口先が尖っていないので猫?)振袖に描かれた紋をご覧ください。丸〆と描かれています。顔料などから明治の出来だと思います。また型全体のフォルムから、今戸人形の福助の型を修正して狐(やっぱり猫?)にしたものではないかと思います。

この人形には丸〆の刻印はありませんが、印だけ描かれています。また明治の出来ですから、これより古い丸〆猫はあったわけです。しかし考えてしまうのは、、。

①丸〆猫が丸〆印の発祥なのか?「丸〆」という言葉が先に流行っていて、印のデザインとなり、遂に招き猫に合体したのか?

②だとすれば招き猫に限らず、「丸〆」の印はいろいろなものに使われていたのか?

「占子のうさぎ」という言葉があります。歌舞伎の滑稽な演目のひとつに「法界坊」というのがあって、劇中に「しめこのうさうさ」「しめこのうさぎ」というおふざけがあります。占子は〆子であってもよいわけですね。ラッキーな時「〆た」とか「しめしめ」と言いますね。 古いものではないと思いますが、端歌の「木遣りくずし」の歌詞に「君は小鼓調べの糸よ しめろ しめつ緩めつ おや音をいだす」という件があって「締める」ですけど「〆る」とも書くことができます。「〆太鼓」というのもあります。清元の舞踊に「神田祭」という演目があります。(初演天保10年)外題「〆能色相図(しめろやれいろのかけごえ)」、、、これらは単に言葉としての「〆」なんですけど、、。

旧家や老舗、商標、屋号で丸〆というのもありますね。呉服屋、日本料理屋、米屋などなど。これらのデザインは「丸〆猫」の〆と同じだったりします。ただ、ネットで見たところ一番古いので創業100年。しかしネットには引っ掛からない本当に古い旧家や無くなってしまった老舗もあったかもしれません。自分の家の家財道具につける焼き印というものがありますね。丸〆、¬〆というのもあります。

ここまで来ると、確実に嘉永5年より古いものがまだ確認されないんで(猫に限らず)、卵と鶏どちらが先か堂々巡っているだけのようです。どなたかご存じの方、お教えください。

「丸〆猫」についてはとりあえず、ここで〆たいと思います。

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。

 

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丸〆猫(まるしめのねこ)⑬

2010-03-31 18:11:45 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010266 HPの内容と重複してしまうのですが、、、。

人形玩具学会のAさんからの情報提供で、新たな丸〆猫の土人形の出土を知りました。出土地は文京区千駄木。ただし、この出土品は裏面だけです。

今戸焼の人形に限らず、昔から土人形には手捻りによる成形もあるものの、多くは2枚型といって、前後を合わせて接合します。鯛焼のようなものですね。この丸〆猫は、ちょうど、前後の合わせ目の裏半分だけ残っていた訳です。これまで見たことのない「本丸〆」の陽刻です。前面が残っていないのがひどく残念ですが、裏面だけでも発見されたということは幸いでした。

おそらく、「本」は「元祖」とか「本家」とかいった類の本家争いから生まれたものでしょう。これまでの記事の流れから推量していただけると思うのですが、三社様の門前でお婆さんが売っていた丸〆猫ですが、その能書き的な物語が2つ確認できました。(武江年表と藤岡屋日記)そして丸〆猫の霊験あらたかなの効能も山と記されていて、我も我もと丸〆猫を求め、布団を敷いて心願したようですね。大ブームです。売れるとなれば、今戸焼のほうではおそらく複数の丸〆猫作者が出てきても不自然ではなく、お婆さんを売り子とした床店(仮設店舗)は何軒もあったかもしれません。そうなると、「本家」「元祖」といって商品価値を高めるなど、競争になります。そうした背景を想像することができると思います。

さて、この「本丸〆猫」ですが、裏面のよだれかけや右足から腰にかけてのモデリングからすれば、新宿水野原遺跡出土の丸〆猫とほぼ同じで丸〆印が違う。おそらく、水野原の型から型どりして、刻印部分だけ修正したものではないかと思うのです。刻印と同時に前面を修正したものであった可能性もありますが、そうでない可能性もあり半々です。昔の土人形は、先行する型をもとにぱくって、部分的修正を施し、新型を作ることはよくあることなのです。

写真の「本丸〆猫」は裏のモデリングがほぼ同じであることから、水野原遺跡の丸〆猫を再現した型に手直しを施して、前面はあまり変えないで再現を試みました。

配色ですが、水野原の丸〆猫の再現と同じ配色でも構わないかとも思いますが、別の作者だったら、配色をもっと派手にしようとか、何とかして目立たせて売上を上げようと工夫することも想像できるので、敢えて配色を変えてみました。前面のモデリングといい配色といい、想像の域ですが、ひとつの試行として見ていただけたら、と思います。

「本丸〆」の「丸〆」は「一文字に点」という形ですね。丸〆猫(まるしめのねこ)①の画像の印と共通します。「本丸〆」の「丸〆」は①の猫への過渡期的な形だったのか、或いは、①の「丸〆」の形は同じ時期からあったのか、、謎です。

いずれにしても、「本丸〆猫」が他にも完全な姿で出土するのを心待ちにしています。その時にはより確証を持って修正していけると思います。

招き猫の実物としては、新宿区水野原遺跡出土の丸〆猫と並んで、この本丸〆猫が現在のところ最も古い最古のものではないかと考えています。

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。