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昔あった東京の人形を東京の土で、、、、

丸〆猫(まるしめのねこ)③

2010-03-18 21:27:55 | 今戸焼招き猫(浅草 隅田川)

2007_0101_000000p1010256 有坂与太郎さんの著作は、今日の郷土玩具愛好家のバイブルともいえるもので「郷土玩具大成」「郷土玩具種々相」「おもちゃばなし」「おもちゃ絵本」「日本玩具史」「日本雛祭考」「おしゃぶり」「鯛車」他ありますが、丸〆猫に関しては、「大成」「種々相」「おもちゃばなし・今戸人形」「おもちゃ絵本・招き猫」等に記事が散見します。ここでは「おしゃぶり・東京篇」(昭和2年刊)からの記事を記します。

丸〆猫

「武江年表」巻之九嘉永五年壬子條下に「淺草花川戸の邊に住める一老嫗、猫を愛しけるが年老いて、業もゝまず、貧して他の家に寄宿して餘年を送らんとせる時、その猫に暇を與へ趣き(ママ)しが、其夜の夢中にかの猫告げて云ふ、我かたちを造らしめ祀る時は福徳自在ならしめんと教えければ、さめて後そのごとくして祀る、夫よりたつきを得てもとの家に住居しけるよし、他人の噂を聞て次第にこの猫を造り物を供て祭るべきよしを云ひふらしければ、世に行はれていくらともなく今戸焼と稱する泥塑の猫を造らしめ、これを貸す、借りたる人は布�隈を造り供物を備へ(ママ)神佛の如く崇敬して心願成就の後、金銀その外色々の物を供え返す、其社は浅草三社権現の横にありて此猫求むるもの夥し、此事兒女輩と雖も心ある人は用いず、まして丈人の駭くべきにあらずと雖も此頃は丈夫も窃に此猫を借りて祈りけるものもあるよしなりしが、四五年にして此噂止めたり」と、乃ち猫の根源は同書によって盡せりとします。丸〆猫は云ふまでもなく金を〆ると云ふ意で、花柳界などに行われしもの、小は二寸からいろいろ、臥して招きたると座して招きたると二種あります裏面に丸〆の字を描出した點は異りません、今戸尾張屋兼吉方にて製し、淺草観世音の隋身門俚俗矢大臣門(現時二天門と改稱)入り三社権現の傍にて鬻いた事は前掲「武江年表」の記事によって知られます、丸〆がその卸相場に於て他の土偶よりも遥かに上値であった事は現尾張屋春吉の語る所、其流行は明治初年まで持續し爾後は全く廢減しました。

 

写真は中央、私がはじめて手がけた丸〆猫の背面。左右は文中の尾張屋さんの臥姿と座姿の丸〆猫を手本として手がけた土人形です。

丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。

丸〆猫(まるしめのねこ)④以降は下にある次の記事へのスライドでお進みください。

 

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