明治35年発行の「うなゐの友・2編」に掲載されてる丸〆猫の図です。先の丸〆猫と細部や配色が異なっていますが、構図意匠はほぼ同じです。図の横に「浅草観世音の堂下にて鬻く猫俗に招き猫にて裏面尾の所に丸〆の印あること他に類なし」とあります。近年話題となっている広重の錦絵が確認される前までは、この図がもっとも古い丸〆猫の図と考えられていました。もっとも、広重の錦絵も今からたどってみると、随分前の展覧会などでも紹介はされていたのですね。郷土人形や招き猫の愛好家が見落としていただけのように思われます。(私もそのひとりです。)この「うなゐの友」の図ですが、こういうものが明治35年以前にはあったという手がかりにはなるのですが、写真ではなくて、描き手の主観の入った表現ですからデフォルメもあるだろうし、立体として捉える場合、どれだけの信ぴょう性があるのかと考えていました。①でお手本とした猫には腰のところに丸〆の彫りがありますし、この図の解説にも「裏面に丸〆の印がある」とありますし、丸〆猫なるものには、とにかく裏に丸〆の印があるものという定義になります。その謂われについては有坂与太郎さんの著作から有名なお婆さんの話につながっているわけですね。
丸〆猫に関する記事は①から⑭まであります。お時間ありましたら通してご覧くださると幸いです。
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