生き生き箕面通信

大阪の箕面から政治、経済、環境など「慎ましやかな地球の暮らし」をテーマに、なんとかしましょうと、発信しています。

生き生き箕面通信942 ・無責任内閣の手柄争い

2011-07-07 06:26:28 | 日記


おはようございます。今日は七夕。しかし、お天とさまも、あまりの情けなさに涙雨のようです。
生き生き箕面通信942(110707)をお届けします。

・無責任内閣の手柄争い

 原発行政の責任を担っていたはずの経産省が「安全宣言」を出したのが6月中旬。それから半月以上経って、今度は首相が「安全不十分宣言」ともいうべき、「原発再開には新指針が必要」と言い出しました。

 海江田大臣が安全宣言にもとづいて、原発再開へ周到なシナリオを描き、白羽の矢を立てた玄海原発で動き出した矢先のことです。菅首相は、「玄海原発は再開できそうだ。それならその手柄は自分のものにしたい。それには、『再開オーケー』を出すために少し引き延ばして、自分が出した基準をクリアすれば、再開できる、つまり首相に主導権が移せる」と読んだわけです。何のことはない、またぞろ「”手柄”の横取り」です。すでに、「浜岡原発」の停止で、海江田氏から手柄を横取りしました。

 菅という人間は、一方で「再生エネルギー法案」の成立が退陣の条件だと強弁し、あたかも「再生エネルギーへの転換」の先頭に立っているかのようなパフォーマンスを演じています。他方、原発再開でも旗振り役をするつもりです。つまり、政治姿勢の一貫性や整合性など関係ない。中身は何にもない”すっから菅”の面目躍如に、右にも、左にも媚を売るポピュリズムです。それは、総理大臣が最後の責任者という立場を放棄して、支持率を上げられることなら何でもする、というだけを意味します。無責任政治の極みです。

 「人の”手柄”の横取り」――原発再開は決して手柄ではないのですが――という恥ずべき行動をしてもカエルの面になんとやらで、てんとして恥じることのない鉄面皮ぶり。人間性において、政治家失格、人間失格というべきではないでしょうか。

 国民の多くは、「ストレステストか何か知らないけど、安全性をより高められるなら、いいではないか」くらいの受け止め方のようです。そこには「責任」というものに対するきちんとした考え方と処し方がすっぽり抜け落ちています。ここが日本人の最大の欠陥ともいえるところです。「責任」が常にあいまいなまま、「空気」で大事なことが既成事実化される。だから、気がついたら、全国の原発は悠々と稼働していたという現実になっているのではないでしょうか。

 私たちは、街頭に出て「脱原発」への意志をデモンストレーションで示すことを迫られています。街頭デモは決してダサいやり方ではなく、21世紀型の意志表示としては「最新ファッション」として位置付けられようとしています。