おはようございます。「『またですか』なんて天皇おっしゃらず」(今朝の「朝日川柳」より)。実際、なぜこうもまあ大臣が変わるのでしょうか。認証式に出られる天皇も「またですか」という心境に違いありません。
生き生き箕面通信943(110708)をお届けします。
・民主主義が壊れていく――「契約」概念の欠如から
「やってられるか」という心情でしょう、海江田経産相は。総理大臣という権力をかさに、浜岡原発の停止に続いて玄海原発の再開問題でも、まるで使用人を扱うようにあしらわれたのですから、ブチ切れするのも無理はありません。
それにしても、菅という人間は何なんでしょうか。自分が何を考えているのか、きちんと説明はしません。あるいは説明できるほどの内容がないということでしょう。自分が「これだけは日本の国民のためにどうしてもやる必要がある」という信念あるいは内容がないから、目の前で起こったことだけに反応する。根底にあるのは、ただ「実績」をつくり、「歴史に名を残す」ことだけ。
大上段にふりかぶるまでもなく、民主主義は「契約」の上に成り立っています。議論をしたうえで多数が納得して決めたことは守るという契約です。ところが、菅流は国民との契約も何のその、自分の「延命」に役立つことなら何でもアリ、です。政権交代を果たした総選挙で有権者に公約した「マニフェスト」は今は棚の上に上げられてほこりをかぶっています。むしろマニフェストを破っても平気です。つまり、有権者と契約したことを平気で破棄しようとしています。
海江田大臣が辞意を表明し、与党幹部からも平然と首相批判が行われ、政権が崩壊、内閣が崩壊しつつあります。いまや「退陣3条件」もやりきる力が残っているのか、おぼつかない。赤字国債発行法案、第2次補正予算、そして電力価格買い取り制度を含む再生可能エネルギー法案ですが、野党は自民党をはじめ公明党も、菅政権の命脈が尽きつつあるのを見ています。
しかし、この事態を迎えてもなお、「では”菅後”の国のかじ取りはどうあるべきか」という議論は少しも深まる気配が見えません。つまり、国民に対する新しい「契約」については内容がまったくないまま、ただ「辞めろ、辞めろ」と叫んでいるのではないでしょうか。国民、あるいは有権者自体が、政治は自分たちとどのような「契約」を結ぼうとしているのか、その最も大事な視点をおろそかにしているのです。
だから、菅直人氏が辞任しても、事態はほとんど変わらない。ねじれ国会のまま、相変わらずの”政局”続きで、国家自体が沈んでいきます。
それでも私たちは、それぞれの地域で「支え合い、きずなを強める」活動を積み重ねる以外にないようです。そうした活動の中でも、約束したことは守るという「契約」の概念をしっかり大事にしていきたいものです。