おはようございます。運転再開が正式に認められていないにもかかわらず、2機の原発(関電大飯1号機、北海道電力泊3号機)が「調整運転」の名目でフル運転にはいっている、と今朝の朝日新聞が5面で伝えています。また、「菅おろし」のなかに、自然エネルギーつぶしの勢力が加わってきたので、状況が非常に複雑になってきました。
生き生き箕面通信941(110706)をお届けします。
・「自然エネルギーつぶし」「原発推進」の読売新聞
本日の読売新聞社説は、玄海原発に触れ「再開へ首相自ら説得にあたれ」と主張しました。論調全体が、「原発再開・推進」キャンペーンの典型例になっていました。よくもこれほど偏った社説が書けるものだと、感心するくらいです。
まず、「安全性は整った」とし、このうえは「首相が早急に現地を訪問し、安全性や運転再開の必要性について自ら丁寧に説明するべきだ」と、むきだしの「運転再開」を催促する宣伝を繰り広げています。そこには「本当に安全性は確認されたのか」という冷静に立ち止まって慎重に検討しようとする、言論機関の基本がまったく見当たりません。
そればかりでなく、「このままでは1年以内に国内の全原発54基が停止し、電力供給の3割が失われる恐れがある。電力が足りず、大幅な減速や工場の海外移転が加速しかねない。日本経済の衰退を防ぐには、原子力の安全を確保し、原発を活用することが欠かせない」と、電力不足というお決まりの”おどし”をかけ、日本経済の衰退を”人質”にした卑怯な社説になっています。電力不足にならないことは、多くの専門家が指摘してしています。しかし、それにはまったく触れない卑劣さです。
自然エネルギーには言及しましたが、「水力を除けば電力量の1%に過ぎず、直ちに主要な電力源にはならない」と斬って捨てました。自然エネルギーの育成を阻害してきた張本人が原発推進勢力だったことは素知らぬ顔のままです。鉄面皮というか、恥も外聞もない。
これから自然エネルギーを主とする社会へ転換しようとする前向きの姿勢はみじんもありません。知性の一端も感じさせない社説。極めつけは「政府は、原子力と火力を柱とした現実的なエネルギー政策を推進すべきだ」と、”現実論”なるものを持ち出して「自然エネルギーつぶし」を結論としていることです。
読売新聞は、発行部数がほぼ1千万分と全国一の”大”新聞です。ドイツやイタリアでは「脱原発」の動きが強まっています。そこにはしっかりした理由があってのことです。人類の生存がかかる原発を拒否する立場です。読売新聞はそれを承知の上で、なお国民を「原発推進」へ誘導しようとするわけです。将来、フクシマでがん患者が増え、あるいは玄海で事故があった場合には偏西風に乗って放射性物質が日本列島を覆い尽くすことに責任が持てるとでもいうのでしょうか。
有力な言論機関のなかに、「原発維持・推進」をもくろむ勢力が厳然として存在するという実情があります。読売新聞には、良識のある言論を求めます。しかし、本日のような紙面で国民をおかしな方向へ誘導しようとし続けるなら、それは「害毒」をばらまく有害紙ということになります。社会的な影響力を排除するためには、「不買運動」を展開するほかないとすら思わされます。暗たんたる気分です。そして
「脱原発」「自然エネルギー社会への転換」は道遠しです。