お早うございます。今朝は寒さが緩んでいました。いい一日でありますように。
生き生き箕面通信375(091211)をお届けします。
・「独立」へ、不言実行―小沢流アメリカ離れの術
小沢一郎・民主党幹事長ご一行様600人が10日、中国を訪れました。午後には早速、最高指導者の胡錦涛・国家主席と会談し、民主党と中国共産党との党同士の交流強化を確認しました。
日米関係が、普天間基地移設問題できわめて険悪な状態に陥っている中での訪中ですから、アメリカには「小沢は(アメリカより)中国重視」と映ったことでしょう。
オザワは、日本の真の独立をめざしています。日本が真の独立を果たすためには、アメリカの従属から脱することが先決としています。そのために一時期、日米関係が険しくなるのは止むを得ないという立場です。
それにしても600名の大名行列。前から準備していて、たまたまこの時機にぶつかったわけですが、アメリカは「意図的できわめて悪質」と判断せざるを得ないシグナルと受け取ったはずです。アメリカがかつてこれほど軽んじられたことは覚えがないだけに、怒り心頭でしょう。軍事面だけでなく、さまざまな分野で影響が出てくるかもしれません。
しかし、このくらい”手荒ら”でなければ、あるいは緊張を覚悟してでなければ、独立は達成できないのも事実です。
新聞は相変わらず、「アメリカとことを構えるな」との観点からばかり論じています。「日米安保が機軸」のお題目を唱えるだけで、それがいまの世界史の流れの中でどのような意味合いになってきているのか、検証はしていません。「55年体制」の感覚から抜け出ることができないお粗末さ。見方を変えれば、それほどアメリカからのマインド・コントロールが染み付いてしまっているともいえます。
日本のジャーナリズムに必要なことは、世界がどちらの方向に進むのが正しいのか、自ら判断することではないでしょうか。決してアメリカの目を通して世界を見ることではないはずです。
普天間に象徴される米軍基地問題などは、アメリカの下請け自衛隊を前提とする「安全保障観」ではないでしょうか。
オザワは、日本の転換を「政策行動」で実行してみたうえで国民の判断をあおぐ、というやり方にいまのところ徹しています。本当は、政治家たるもの、言論で説明し理解を求めることで賛同者を増やしていくことが民主主義ですが、あえて「男は黙って勝負する」を通しています。「いくら説明しても分かってもらえない。ただ批判のための批判が増えるだけ。なら、やるっきゃない」の心境なのです。
実際、「アメリカに追随するだけの外交はやめる」といえば、大騒ぎになるでしょう。ごく当たり前のことはずですが、大手の新聞ですら、イラク戦争へ「ショー・ザ・フラッグ」といわれると、「やむを得ない」と追随する紙面づくりを繰り返してきました。もうそれは止める時です。オバマさんですら、「核なき世界」を実行しようという時代です。
ぼくは、オザワを大きな目でみています。偉そうな言い方ですが、いまのところそう思っています。そんな半身に構えた言い方でなければ、単なるオザワの信奉者と見られかねないと思うからです。
オザワが、「この国の形」をどんな風に描いているか、目に見えてくるのは最低でも3年はかかるのではないでしょうか。3年後に、日本の独立ぶりがどのようになっているか、楽しみなのです。
生き生き箕面通信375(091211)をお届けします。
・「独立」へ、不言実行―小沢流アメリカ離れの術
小沢一郎・民主党幹事長ご一行様600人が10日、中国を訪れました。午後には早速、最高指導者の胡錦涛・国家主席と会談し、民主党と中国共産党との党同士の交流強化を確認しました。
日米関係が、普天間基地移設問題できわめて険悪な状態に陥っている中での訪中ですから、アメリカには「小沢は(アメリカより)中国重視」と映ったことでしょう。
オザワは、日本の真の独立をめざしています。日本が真の独立を果たすためには、アメリカの従属から脱することが先決としています。そのために一時期、日米関係が険しくなるのは止むを得ないという立場です。
それにしても600名の大名行列。前から準備していて、たまたまこの時機にぶつかったわけですが、アメリカは「意図的できわめて悪質」と判断せざるを得ないシグナルと受け取ったはずです。アメリカがかつてこれほど軽んじられたことは覚えがないだけに、怒り心頭でしょう。軍事面だけでなく、さまざまな分野で影響が出てくるかもしれません。
しかし、このくらい”手荒ら”でなければ、あるいは緊張を覚悟してでなければ、独立は達成できないのも事実です。
新聞は相変わらず、「アメリカとことを構えるな」との観点からばかり論じています。「日米安保が機軸」のお題目を唱えるだけで、それがいまの世界史の流れの中でどのような意味合いになってきているのか、検証はしていません。「55年体制」の感覚から抜け出ることができないお粗末さ。見方を変えれば、それほどアメリカからのマインド・コントロールが染み付いてしまっているともいえます。
日本のジャーナリズムに必要なことは、世界がどちらの方向に進むのが正しいのか、自ら判断することではないでしょうか。決してアメリカの目を通して世界を見ることではないはずです。
普天間に象徴される米軍基地問題などは、アメリカの下請け自衛隊を前提とする「安全保障観」ではないでしょうか。
オザワは、日本の転換を「政策行動」で実行してみたうえで国民の判断をあおぐ、というやり方にいまのところ徹しています。本当は、政治家たるもの、言論で説明し理解を求めることで賛同者を増やしていくことが民主主義ですが、あえて「男は黙って勝負する」を通しています。「いくら説明しても分かってもらえない。ただ批判のための批判が増えるだけ。なら、やるっきゃない」の心境なのです。
実際、「アメリカに追随するだけの外交はやめる」といえば、大騒ぎになるでしょう。ごく当たり前のことはずですが、大手の新聞ですら、イラク戦争へ「ショー・ザ・フラッグ」といわれると、「やむを得ない」と追随する紙面づくりを繰り返してきました。もうそれは止める時です。オバマさんですら、「核なき世界」を実行しようという時代です。
ぼくは、オザワを大きな目でみています。偉そうな言い方ですが、いまのところそう思っています。そんな半身に構えた言い方でなければ、単なるオザワの信奉者と見られかねないと思うからです。
オザワが、「この国の形」をどんな風に描いているか、目に見えてくるのは最低でも3年はかかるのではないでしょうか。3年後に、日本の独立ぶりがどのようになっているか、楽しみなのです。