水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」
第六章(2)
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
「是諸法空相」も直訳すると、
「全部の法則は空の相をなしている」となる。
五蘊皆空・色即是空・受想行識亦復如是って言ったじゃないかぁ。
・・・しつこい・・・
だから当然直訳はしないのだ。
「この世の仕組み(是諸法)が、どのくらいイイカゲン(空)か、
これから説明すっからよ(相)」
ここから、しばらくは「空」というイイカゲンなヤツの話が続く。
あまりにイイカゲンなので、
「不」とか「無」とかの否定語やアイマイ語で話すのだ。
ずぅ~と「不」なんて言われていると、
「あ~、もういい、わかったよ。
ようするに、イイカゲンなんだろ」
と衆生は理解してくれるのだ。
これはブッちゃんの話のテクニックだ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)
第六章(1)
舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減
また「舎利子」と呼びかけている。
さっき言ったばかりなのにね。
だから同じく「シャリープトラよ」と訳したら変だろ。
ブッちゃんはボケちゃったのか、と心配になる。
書いたゲンちゃん(玄奘)もボケたのかと・・・。
これが区切りの呼びかけの言葉なら
後半の「是大神呪・・・」の前にもあっていいはずだ。
これは心経だぜ。
単純に二度目も直訳していいわけないだろ。
心経はブッちゃんの伝法の場に同調しながら訳そうぜ。
最初は「お前ぇよ~」と話し言葉に切り替えた。
ここから更に細かい説明を話していくのだ。
特に「いいかげん(空)」がイマイチ解り難い。
聴衆(ケモノ、妖怪含む)に少し集中してもらいたい。
だから二度目の「舎利子」は注意事項の言葉なのだ。
「よ~く耳かっぽじいて、聞けよな~」となる。
現代では
「携帯をマナーモードに」
「お隣とのお喋りはご遠慮を」
「バリバリとセンベイ食うな」
みたいなものかなぁ・・・
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第五章(11)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
ワシ的訳。
「この世ってのはよ~、常に変わっているんだぜ。
何とかなる、と思えば、それっぽく変わるのさ。
お前ぇ次第で、身体や心の苦しみだって無くなるんだぜ。
大丈夫だぁ。」
ブッちゃん(仏陀)の伝法口調が大元だった。
飾りがないから、一見無愛想な口調だが優しい。
後に粗暴な言い方や振る舞いが「伝法」と勘違いされるが、
本来はブッちゃんがホンモノの法を伝えた口調なのだ。
(信用しないでね。ワシのブッちゃんのイメージなんだ)
「色即是空」を哲学や理論物理学などに当てはめるからズレる。
日常の暮らしから離れたら、経の存在理由は無い。
毎日必死に生活するモノ達に、真理や法をかまっているヒマはない。
真理や法則など、死んでから考えればいい。
生きている間は、楽になりたいのだ。
心経は暮らしに役立つ道標グッズなのだぜ。
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第五章(10)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「空即是色」は実践方法だ。
それに引き続いて話は進む。
「受想行識・亦復如是」も実践方法だ。
ブッちゃんは(苦から)変われる事を説いている。
何とかなる(空)と思えば、周り(色)の状態も変わる。
周り(この世)だけじゃないぜ。
心と身体(受想行識)も変われるんだぜ。
まぁ、お前ぇ次第だがなぁ(亦復如是)
何という名訳。
誰も褒めてくれないから、自分で褒めよう。
自分で自分を可愛がろう。
それが「受想行識・亦復如是」ということでもある。
すると、いろいろが変わる、とブッちゃんは言った。
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第五章(9)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「受・想・行・識」は個人の心の動き。
「亦復如是」は「それも似たようなもんだ」と訳す。
「かくの如し・同様」よりも、やわらかく話そうね。
「即是」と書かなかった点にも注意をはらおうね。
「受想行識 亦復如是」は「空即是色」にかかるのだ。
「色即是空」に亦復如是とすると「五蘊皆空」とカブる。
色+受想行識=五蘊だからだ。
だが、多くの訳は「色即是空」に亦復如是をかぶせる。
原因は「色即是空」と「空即是色」の違いを認識してないからだ。
頭が良いと字面で訳をする。
正確かもしれないが、困ったもんだなぁ・・・。
字面を正確に訳しても、心中を観ることはできない。
ワシも心中を観ることは不明だが、頭を使わない分、適訳かも。
と、自画自酸性雨、我田因数分解、意味踏み絵・・・。
勉強はほどほど、が適しているのだよ。
頭など良くても、そのうちボケる。
名前が出てこない、漢字を忘れる・・・もうすぐだぞ。
でも、心が柔らかなのは、死んでも残る(活きる)。
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第五章(8)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
600巻に及ぶ大般若波羅蜜多経の心経。
その心経を解くキーワードがある。
キーワードは幾つも用意されていた。
ゲンちゃんはサービス精神があるのだ。
「空即是色」もその一つだと思うぜ。
これは心経の目的のキーワード。
それが最後の呪に通じる。
何故、あの呪を伝えたか、が解る。
「色即是空」に反応していては見過しやすいぞ。
最後の呪と「色即是空」は繋がらないだろ。
ブッちゃんの心とゲンちゃんの心。
優しさを中心にすれば、心経の目的に気づく。
すると、更に続く「繰り返しの言葉」が活きる。
ダラダラと続く(し、失礼・・・)言葉が活きる。
全ては「空即是色」を引き立てる。
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第五章(7)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
心経に反応し影響される人達。
衆生には違いないが、一部の層の人達が多い。
それらの層はブッちゃんの対象とはズレている。
ブッちゃんは基準を一番苦しい人達にしている。
人以外の生物やモノ達に置いている。
宇宙の真理やこの世の真理を説くのが目的じゃない。
「苦からの解放(救い)」が目的だ。
救いは自力と他力が合わさって発揮できる。
その一部を手伝いたかったのだ。
目的が「救いの方法」と気づけば、心経は解ける。
優しい話し言葉だと気づけば、訳も出来る。
表現はどうでもいいのだ。
それをブッちゃんは弟子達に伝えたはずだ。
「解りやすく言えよ。ウソも方便だぜ」
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第五章(6)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
誰でも、どんなモノでも生きている。
苦しみから抜け出る事が優先だ。
抜け出る方法を知りたいのだ。
宇宙の真理は・・・趣味でいい。
(言われても、正誤の判断もできないし・・・)
ブッちゃんは衆生(あらゆる生きているモノ)が相手だ。
衆生の苦しみを変える事が目的だ。
だから「空即是色」を伝えたかった。
それには「色即是空」を先に話す必要があった。
「色即是空」を知ってもらうのが目的じゃないのだ。
真理探究が趣味の人達がいる。
彼等は「色即是空」に反応する。
す、すばらしい!
自分が発見したような錯覚をする。
知ろうが知るまいが、真理は変わらない。
あるいは、(真理は)常に変化している。
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第五章(5)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
話し言葉だから、前の言葉に繋がる。
「この世(色)は何とかなるさぁ(空)」
そう話して、元気付けたのだ。
「何とかなる(空)と思えば、現状(色)も変わるのさ」
ブッちゃん(仏陀)は優しい言葉で話を続けた。
「色即是空」で、この世の仕組みを説いた。
「空即是色」で、実践方法を説いたのだ。
だから同じような言葉を続けたのだ。
話の内容を経として書けば「色即是空・空即是色」になる。
なるけど・・・直訳では経が活きない。
イイカゲン(空)な仕組みだから、何とでもなる。
未来を簡単にあきらめない。
苦しさだって変わる。
病気だって治る。
この世は、確定してない世界だぜ。
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第五章(4)
色即是空 空即是色 受想行識亦復如是
「色即是空」に続けて話す「空即是色」の言葉。
直訳するから空しくなる。
ブッちゃん(仏陀)は優しい。
どんな訳をしてもアレコレ言ったりしない。
だがワシは(自慢じゃないが)心が狭い。
心が狭い故に、他の訳に首をひねる。
同じような訳を二つ並べていいのかぁ?
「色即是空」はどんな訳し方でもいいとしよう。
だが、だからといって「空即是色」にはならないはずだろ。
訳者も意味が変と思いながら書いているフシがある。
「空」の解釈が幾つかあっても、見えない世界ではある。
それが、即「色」というのは、無理があるだろう。
「色」は「空」の現れの一つにすぎない。
ならば元の「空即是色」が間違っている?
んなこたぁ無ぇ。
心経は冥想で解く経だ。
そして話し言葉で説く経なんだぜ。
(過去のプログは本館 「氣の空間・氣功療法院」です。)