神だか創造主だか醸造酒だか知らないが、
この世を創ったモノはオチャメだ。
偉大かもしれないが・・・ヒネクレている。
ヒネクレているモノは偉大なのかも知れない。
オチャメなのは・・・偉大なのかも知れない。
生きるに大切な「余裕命」の部分。
大切だからこそ使わない仕組み。
使わざるを得ない状況下で気づく仕組み。
生きる危機になり、生きる大切さを知る。
幾重にも張り巡らされた気づきの層。
死の手前になるほど「気づき」が濃くなる。
生きる意味の気づきが濃くなる。
それでもいいのだ。
どの段階でもいいのだ。
どの段階からも用意されている。
でも、そんなに苦しむ前で気づく方がいい。
普通の暮らしの中でも「気づき」はできる。
できれば「余裕命」を使う前がお薦めだ。
自分を捨てれば、自分が観える。
自分を捨てれば、気づきは拾える。
使った「余裕命」の量は中々回復しない。
生きる事が制限されるのだ。
仮の限界線前なら回復は早い。
回復を「余裕命」が支えるからだ。
「余裕命」は「命の土台」らしい。
土台は削るモノではない。
無理をしてもいいけど、
無理を続けると「余裕命」を使う事になる。
無理は少しにしておく方がいい。
少しなら何とか修復できる。
少しでは何かを得られないかもしれない。
続ければ何かを得られる。
この世は継続が形になりやすい。
「無理の継続」も何かを得られる。
だが最も大切な「命」を失う。
継続は力。
だが力は得るモノなのか?
命を削ってまで得るモノなのか?
ワシはこの言葉に企みを感じる。
誰かが誰かを利用していると感じる。
言葉に踊らされる人は多い・・・。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」