ちょうどいい名前が思いつかなかった。
「余命」じゃ違うし・・・
「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・
この部分の説明に出会った事がないし・・・
だから言葉が判らない・・・。
ワシの感覚だ。
クライアントに接して感じる「命」。
命の仮の境界線。
そこから下の部分の話だ。
普段は使わない命の部分だ。
生きている時は「命」を使う。
あらゆる事に使う。
何にもしなくても使う。
その「命」には量がある。
量はその個体の決定量じゃない。
「命の器」が一つ一つ違う。
しかも「器」は大きさが変化できる。
当たり前だが「やわらかい」ほど大きくなれる。
更に器にいつも満杯の量ではない。
「命の量」は個体のその時の状態で変化する。
つまり「命」は「器」と「量」の二段構えの仕組みだ。
人は意識で「器」と「量」を変化してしまう生物だ。
変えることがある程度可能な能力を持っている。
能力はあるが、活用しているわけじゃない。
特に近代以降、人類は見えないモノに鈍感になった。
大切だ、大事だ、と言いながら「命」を粗末にした。
戦争が途切れた事のない、特殊な生物だ。
かなり・・・愚かではある。
「命」の研究を進めているが、一方向からだけだ。
近代以降、見える分野でしか研究が出来なくなったからだ。
「観る能力」もあるのに使わなくなったからだ。
「器」だけじゃなく、頭も硬くなった・・・。
だから「命」は解る人にしか解らない。
まぁ、それでもいいけどさぁ・・・。
生きている限り「命」を使う。
生きている限り「命」を補充する。
「命」は使い合う。
「命」は補充し合う。
多種多様なモノ達と補充し合っている。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」