水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

余裕命・1

2005-08-05 18:17:05 | Weblog

ちょうどいい名前が思いつかなかった。
「余命」じゃ違うし・・・
「遊び命」じゃ感じ悪いし・・・
この部分の説明に出会った事がないし・・・
だから言葉が判らない・・・。

ワシの感覚だ。
クライアントに接して感じる「命」。
命の仮の境界線。
そこから下の部分の話だ。
普段は使わない命の部分だ。

生きている時は「命」を使う。
あらゆる事に使う。
何にもしなくても使う。
その「命」には量がある。

量はその個体の決定量じゃない。
「命の器」が一つ一つ違う。
しかも「器」は大きさが変化できる。
当たり前だが「やわらかい」ほど大きくなれる。

更に器にいつも満杯の量ではない。
「命の量」は個体のその時の状態で変化する。
つまり「命」は「器」と「量」の二段構えの仕組みだ。
人は意識で「器」と「量」を変化してしまう生物だ。
変えることがある程度可能な能力を持っている。

能力はあるが、活用しているわけじゃない。
特に近代以降、人類は見えないモノに鈍感になった。
大切だ、大事だ、と言いながら「命」を粗末にした。
戦争が途切れた事のない、特殊な生物だ。
かなり・・・愚かではある。

「命」の研究を進めているが、一方向からだけだ。
近代以降、見える分野でしか研究が出来なくなったからだ。
「観る能力」もあるのに使わなくなったからだ。
「器」だけじゃなく、頭も硬くなった・・・。
だから「命」は解る人にしか解らない。
まぁ、それでもいいけどさぁ・・・。

生きている限り「命」を使う。
生きている限り「命」を補充する。
「命」は使い合う。
「命」は補充し合う。
多種多様なモノ達と補充し合っている。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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