仮の限界線の下にある「余裕命」
ここまで踏み込んでする治療がある。
例えば癌治療などだ。
「癌の命」と「患者の命」の競争。
どちらが先に倒れるか。
命を削って治療する。
治療法の是非は問えない。
医師法やら○○法などがある。
医師以外が言ってはいけないのだ。
言えるほどの知識も無い。
正誤はもちろん口出しできない。
ワシにも判らない。
ただ「余裕命」を削ると回復は遅れる。
仮限界線の上部の「命」とは違うのだ。
回復は「余裕命」の量で変わる。
医師は危険な療法を使える。
その為の免許だ。
ワシ等は危険な療法は使わない。
回復への手段が最初から別なのだ。
そこの分別は明確に持っている。
(持っていない治療者もいる・・・)
いろいろな治療者がいる。
いろいろな治療法がある。
いろいろな回復法がある。
いろいろな能力もある。
それぞれに適する場合がある。
ワシの場合、ある事に気づいた。
直接「余裕命」の応援が出来るようだ。
通常はこの部分は自然に任せるしか手が無い。
上部の「命」なら応援出来る手段は多い。
だが「余裕命」は他が手伝えない。
唯一手伝えるとしたら・・・
それは「余裕命」と同じモノ。
そこで気づいた。
ワシの扱う「氣」
「余裕命」と同じモノが混じっている。
(別なモノも混じっているなぁ・・・)
こんなの自分の力であるはずがない。
故御師匠様の言った事の意味の深さ。
改めて深く認識する。
これは、ワシの力じゃない。
自分の能力だと思ったら僅かなモノしか使えない。
放していれば、大きなモノが活用できる。
ここをキチンと認識している限り、
ワシは「余裕命」を応援できるかも。
(本館は 「氣の空間・氣功療法院」