水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

家族の話・4

2005-03-27 19:19:42 | Weblog

オトコとオナゴのツガイが一緒に暮らす。
特別な仲間として一緒に歩く。
そこにあるのは「夫婦縁」というやつだ。
(社会的な夫婦という意味ではない)
「愛」や「恋」と別次元の話だ。
愛してなくても、恋してなくても暮らせるし、
憎しみ合っても一緒に歩く事もできる。

更にいえば、一緒でなくても始まる。
一度だけの関係でも家族は始まってしまう。
ワシは「家族のあるべき姿」を指摘しているのではない。
単なる事実を書いている。
好き嫌いと別な仕組みで「家族」は始まるのだ。

「心の結び」と「氣の結び」は違う。
好き嫌いの「感情」や「恋」は心の結びだが、
家族は「氣の結び」で作られるのだ。
ワシももっと美貌な両親の子供が好みだったが、
美貌と貧乏を取り違えられた・・・。
貧乏が嫌でもないが、決して好みじゃない。
それに・・・飽きた・・・。

「氣の結び」での「体の結び」は形を創る。
「氣は万物形成の根源」なのだ。
新たな生命という形を創りだす。
それが「子孫」という未来だ。
今の貴方だ。
それを取り巻くのが「家族」というものだ。

「心の結び」での「体の結び」は、
満足度や幸福感(幸福と区別してね)の確認になるが、
形は創らないし、創れない。
形が出来たなら「氣の結び」があった証拠だ。
もちろん「氣の結び」と「心の結び」の比較は意味がない。
別次元同士を比べる事自体、無理がある。

家族は「氣のつながり」で出来ているが、
必ずしも「心のつながり」があるわけでない。
「心」は不安定な幻のようなモノ。
「氣」は万物の根元となる確かなモノ。

人と人はほとんどが「心で結ぶ関係」だ。
だから別離がある。
だが、家族関係は「氣で結ばれた」特殊な関係だ。
だから別離は出来ない。(心的な別離はある)
出来上がった家族の中で離婚は別離にならない。
嫌かもしれないが、法律や心とは別な次元の関係だ。

確かなモノの証明として「縦の氣綱」がある。
親子の絆(氣綱)は縦の線で表す。
「横の氣綱」は双方の意思によって結ぶ氣綱だが、
「縦の氣綱」は結び目の無い「共通の通路」だ。

最近になり、DNAとして科学が研究しているモノだ。
肉体が無くなっても切れる事のない「氣綱」だ。
古からの智慧に、少し科学が近づいている。
「氣」に科学が近づいてきた。

いつでも不安定の心を信じるわけにはいかない。
人の心は不出来なモノなんだ。
だが、家族は信じていい。
「氣」はウソも裏切りも出来ない。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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