水上陽平の独善雑記

水上陽平流の表現でいろいろな事を書いています。本館は http://iiki.desu.jp/ 「氣の空間」

やさしい話・1

2005-03-13 19:42:52 | Weblog

「やさしい」雑記を書こうと思った。
「優しい」と「易しい」。
日本語ってかなり面白い。
音が同じだと意味も根が同じになる。
(違うこともあるけど、それは気にしないで・・・)

「やさしい」ことから学ぶモノは多い。
「優しい」ことは重要な意味を含んでいる。
この世の「存在」の意味を含んでいる。
ワシは30年以上かかって解った(つもり・・・)
この雑記でも、その断片を度々書いてきた。

この世は「優しい」から「存在」できていた。
そして「易しい」から「存在」できていた。
「優しい」歩き方をしないと苦しむ。
「易しい」方向に行かないと苦しむ。
実に当たり前だった。

実に当たり前に気づくまで30年もかかった。
ワシって・・・アホなのね・・・。
だからワシはアホの味方だ。
アホは可愛い。
自分を可愛いと思えないと苦しむ。
当たり前だよね。
これも「優しい」から学んだ一つだ。

嘗て今よりもアホだった大アホの頃、
「厳しくなければ成長しない」
と本気で思っていた。
「難しいから面白い」と思っていた。
実に薄っぺらな表面しか観ていなかった。

今も立派な(?)アホだけど、
「優しくなければ成長しない」
(まぁ、成長はどうでもいいんだけど・・・)
「易しいから面白い」と理解できる。
精神世界は表面に仕掛けがあったんだ。
表面の役割は「ヒッカケ」だったと気づいた。

「氣」というモノを体で扱うようになり、
「氣」はウソをつけないと気づいた。
表面を最初から通り貫けていた。
頭(理屈)はむしろ邪魔だった。
気づいてしまえば、簡単な事だった。

ブッちゃん(仏陀)はこの世を看破した(らしい)。
そして最初に話した相手は森のケモノ達だ。
ウサギや鳥やタヌキに理解できる話だ。
生きとし生けるモノ全てが理解できる話だ。
難しいわけがない。
当たり前だった。

「優しく・易しく、生きると楽だよ」
それだけだった。


(本館は 「氣の空間・氣功療法院」
コメント
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