お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お誕生日

2007年05月21日 | 仏教
 きょうは新暦・親鸞聖人のお誕生日 本山では、にぎやかに降誕会法要が勤修されています。
 真宗ご門徒の皆様、クリスマスの代わりに、きょうこそ家族でお祝いしてくださ~い 

 親鸞聖人の経歴ご紹介です。
 
 親鸞聖人は1173年、京都南部の日野の里で誕生。(現在、伏見区日野に「誕生院」があります)
 父は藤原氏支流の日野有範。
 時は平安時代末期・平家と源氏が争っていた頃です。
 
 幼くして両親と別れた少年(親鸞聖人)は、9才の時、東山の青蓮院で慈鎮和尚(関白・藤原忠通の子、62代天台座主)によって得度(僧侶になる)式を受け、比叡山に登り、二十年間修行を続けます。
 
 比叡山で厳しい修行を続け、29才になった範宴(親鸞聖人)は、どれほど修行、努力しても我執を離れることが困難である・・・その絶望、焦燥から、聖徳太子の建てられた六角堂(京都の真ん中に位置すると言われる、頂法寺、後、華道池坊の発祥地)の救世観音に決断を仰ぐべく、六角堂に百日間通います。
 
 そして、夢のお告げによって、吉水で念仏の教えを説かれていた法然上人をたずね、出逢われるのです。

 続く・・・

 
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家庭力

2007年05月19日 | 雑感
 雑誌「AERA」 5.21号 に「『家庭力』って言うな!」 という記事がありました。
 若いお母さん方の悲鳴のような記事内容です。お仕事をお持ちのお母さんの悩み、一方「子どものため」と頑張っておられる専業主婦のお母さんの悩み。

 私は決して「いい母親」ではありませんでした。自分が精神的に「大人」に育っていませんでしたから、自分のこと(お寺に慣れること)に精一杯で・・・
  
 つくづく「子育てほど大変な仕事はない」と、思います。親の全人格が問われますから・・・
 でも、大変だからこそ、子どものお陰で、自分が「親」にならせてもらい、少しは「大人」に成長させてもらえたと有り難く思っています。

 ダメ母でしたが、家族や周囲の皆さんのお育てのお陰で、いつしか子どもは、それなりに大きくなりました。(次女曰く「ご飯さえ食べさせておけば、大きくなる」そうな・・)

 昨日、ある50代のご門徒女性Mさんとお話したのですが、「若い子育て世代向けの気軽な雑誌が、本山から発刊されたら、いいのに・・・」
 本山から団塊世代向けには「ジッポウ」という高額な雑誌(売れたのかなあ)が発刊されましたが、若い女性向け雑誌がない。仏教婦人会誌「めぐみ」は、「ちょっと、結構です・・・」と、引いてしまうので、あまり仏教色を出さない「ほんわか子育て雑誌」みたいなもの。

 まず、子どもは、親が「作るもの」じゃなく、「授かりもの」という謙虚な気持ちから始まって、世間の価値観に合わせるために「頑張らない」ほのぼの子育て、親育ちを伝える「お気楽ユーモア雑誌」。そんなのを本山が企画してくださらないかなあ

 Mさん、はっきり仰いました。「とにかく、本山は宣伝(伝道)がヘタ

 

 
 
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郷土史によると 法専寺編

2007年05月18日 | 佐賀ネタ
 きょうはウチの寺の歴史です。
 
 戦国時代、肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、壱岐、対馬の5国2島の大守と呼ばれたのが龍造寺隆信です。
  元亀年間(1570年頃)龍造寺隆信の家臣・池田主馬(この辺りの豪族)が大友勢の来襲の際、敵軍を破り大功を立てた。その功績に対しての恩賞として隆信に請うて建てたのが法専寺。
 龍造寺から鍋島(元は龍造寺の家老だった)時代になっても「南無阿弥陀仏」の六字になぞらえ御切米6石ずつ下賜され続けた。
 明治38年落雷で本堂など全焼。現本堂は明治43年に再建されたもの。

と紹介されています。
 残念ながら、明治の落雷火災で古文書、お宝類?は全て焼失したようで、ウチには明治以降の記録しか残されていません。だから、法専寺の歴史も郷土史で知るのみです。 現住職が18代目となっています。
 本堂は、私が嫁に来た年(26年前)に銅板屋根の葺き替え工事がありました。本堂が広いわりに柱が中にはないので、瓦は重くて支えられないのだそうです。
 天井、床下、壁・・・ちょこちょこ補修工事はしていますが、建物そのものは100年近くなるわけです。
 古いので隙間だらけの本堂です。夜中はネズミが運動会をしているようですが、
密閉されているより「風通し」がよく、小動物たちも自由にお参りできて、いいのかもしれません・・・
 代々坊守さん方が雑巾がけしてこられた床も、無精者の私はモップでササッと簡単掃除。

 そういえば法専寺の山号は、撫松山(ぶしょうざん)。山号が「ぶしょう」だからといって「無精山」にならないように、しっかりお寺を守らなきゃ
 
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郷土史によると

2007年05月17日 | 佐賀ネタ
 佐賀の中心部に浄土真宗本願寺派の佐賀の本山的役割を果たしてこられたお寺として願正寺さんがあります。
 生まれが佐賀んもん(佐賀の者)でなく、その上、無知の私ですから、ようやく最近になって、「へ~、そうなんだ」と知ったこと。

 佐賀市が出している「佐賀城下みて歩き」福岡博先生著 によると

 鍋島藩は関ヶ原の戦いのとき、西軍に加わり窮地に立った。その時、西本願寺の准如上人の斡旋によって危機を脱し、36万石をとりとめた。鍋島氏は西本願寺に報いるために願正寺を建立して特別に保護した。旧藩時代には仮本陣がここにおかれたり、幕末には志士たちの集まり場になったりしてよく歴史に登場した。

と、あります。
 
 旧鍋島藩下の浄土真宗の寺は全部 本願寺派(西本願寺)に属しているそうですが(もちろん佐賀には、他宗派のお寺もたくさんありますが)、同じ真宗でも大谷派(東本願寺)のお寺がなく、みんな西本願寺の末寺ということは、こういう理由だったからか・・・と、妙に納得したのであります。
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不可解

2007年05月16日 | 雑感
 17才の少年が母親を殺害。首をバッグに入れて警察に持ち運び、自首。

 何とも言いようのない理解をこえた事件です。
 私自身、人を非難する資格のない・・・何らかの縁によっては、何をしでかすかわからない危うい存在 ではありますが・・・
 
「冷静に」自分の母親を殺害。血の海の中でも、頭部まで切断・・・「動揺することなく」自首。ここまでくると、わからない・・・
 彼には感情、情愛というものが、無かったのでしょうか? 美しいものを見て美しいと感動する心とか、今、自分が生きている不思議とか、周囲への感謝とか・・・
 世界は、宇宙は、広いのに、周囲のことに無関心で、望遠鏡で覗いたように、自分の狭い世界だけで生きていた少年なのでしょうか。
 人に弱音を吐いたり、自分の気持ちを表現することができない、プライドばかり高い少年だったのでしょうか。
 その自分の思いこみの「望遠鏡」をちょっと外してみたら、広い世界に気づけたのに・・・

 少年は、精神を病んでおられたようにも報道されていますので、専門外の私には、わかりませんが・・・
 被害者であり、加害者をもつ、ご家族、関係者の苦しみを思うと、深い溜息です。
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現世利益

2007年05月15日 | 本紹介
 一般経済活動においては「利益」は「りえき」と読みますが、仏教では「りやく」と言います。
 「○○にお参りしたら、御利益(ごりやく)がある」 と言うように、「病気がよくなる」「お金がもうかる」「家内安全」・・・というような自分にとって好都合なことが叶う意味・イメージで使われる言葉です。
 
でも、浄土真宗では、そういう意味での御利益は否定します。だから、つい力が入って「御利益などない!」「御利益を望んではいけない!」というようなお話をしてしまうことがあるのですが・・・

 藤田徹文先生の著 「現世利益」 探究社 から ご紹介

 p8仏教の中には「利益」は説かないというようなことを強調する宗派もあるようですが、真実の教えを実践し、真実の教えに遇ったら、必ず利益があるというのが仏教です。ただ、問題なのは、み教えの実践もせず、み教えを聞くこともなしに、ただ利益だけを追い求める人がいます。このようなことは、言語道断です。
 仏教は、利益を追い求めるだけにあるのでなく、み教えを実践し、み教えを聞くがままが、実は「功徳」であり、「利益」だという教えで、それが基本です。

 仏教では「自利」自分が利益を得るとともに「利他」他の人をも利益することを説きます。

p11 多くの「いのち」に支えられ生かされて生きている私たちなのです。私を生かしてくださる「いのち」が幸せになることなしに、私の幸せはないのです。他の人を利益することなくして、私の利益はないというのが本当だと思いますし、そのことを教えてくださるのが仏教であると領解しています。

 仏教でいう「利益」は「仏の教えによって得られる心のやすらぎ・幸福」です。
ままならぬ厳しいこの現実社会を修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄にしてしまわないよう、皆ともに、手をとりあって生きてゆく力をいただく「利益」が本当の「御利益」なんだと思います。 



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法務

2007年05月14日 | 雑感
 昨日は午前中、住職が他2軒のお参りに行っている間、ウチにご門徒のYさんとご親族がいらっしゃって、Yさんお母様の3回忌のおつとめを私がさせていただきました。
 「教師」(住職になることができる)資格をとらせていただいたものの、葬儀に関してはペーパードライバー状態だった私が、初めてお通夜・葬儀を1人でつとめさせていただいたのが、Yさんのご葬儀でした。(住職は遠方出張で)
 あの時は本当に緊張しました。葬儀場の僧侶控え室で葬儀作法の手順をイメージしながら、心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキしていました。
 
 あれから丸2年・・・昨日の3回忌も私がおつとめさせていただきました。寛大なYさんご一族は、私の拙い「法話もどき」を穏やかに微笑みながら、聞いて下さいました。

 そして午後からは、法専寺「若い女性の集い」でした。これも数年前から住職に代わり私が担当です。お茶を飲みながらの気楽な勉強会。一応「若い女性の集い」にしていますが、年齢制限ありません。
 「母の日」の昨日、ご婦人方はご多用だったようで、参加者が少なく、ちょっと残念でした。
 私に気を遣って(行ってやらねば、かわいそうと)ご出席いただいた皆様に厚く御礼申し上げます。

 夕方からは組の坊守会へ。
 そこでも、なかなか若い方に、お寺においでいただけないことが話題になりました。
 でも、一番若い31才?ご住職のお寺では、今までなかった「仏教壮年会」を新たに立ち上げられたらしい。
 今度、仏教壮年会のお父さん達が、子ども達のために「そうめん流し」を企画されているそうです。 いいですね

 こうしてあわただしい母の日が終わりました。
 娘からは電話とメールをもらいました。プレゼントは、なしですが、思ってくれているだけでうれしいことでした
 
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無我

2007年05月12日 | 仏教
 きょうは法専寺仏教壮年会の総会&懇親会でした。
 懇親会の折、I氏が「『生と死』も、自分がなす『善と悪』も本当に紙一重だと思う」と仰って、「まさにそれが仏教ですよ」と話したことでした。

 自分がなす「善悪」も紙一重。
 「水戸黄門」の登場人物のように「いい人」「悪い人」とはっきりは分類されないのが私。その場、その時の縁によって、何をしでかすかわからない・・・

 仏教では「無我」を説きます。
 みんな「自分がある」と思っている自分の「我」ですが、「諸行無常」が真理であるように、「我」も「無常」、つまり常ならず、移り変わる。
 固定的な「我」というものはない・・・ということです。

 じゃあ、今「自分」と思っているものは何か・・・というと、それは「仮我」。
 自分の身体と考え(精神)で仮に成り立っている我ということです。
 「仏教」のテキストによれば、「因縁がとければ、解体されるもの」と書かれています。

 ひろさちや氏の「仏教初歩」すずき出版 の中では、「預かっている『自分』」「『わたし』とは借りてきたもの」と表現されています。

 ーーーわたしは、「わたし」をほとけさまからお借りしているーーー

 p101 わたしたちみんな、それぞれ「自分」をほとけさまからお借りし、預かっています。だとすれば、わたしたちは、その「自分」を大事に使わねばなりません。(略) ほとけさまからお預かりしている命だから、粗末にしてはいけません。

 自殺はもちろん言うまでもありませんが、暴飲暴食もお預かりしている自分のいのちを大切にしてないこと・・・

 きょう、懇親会でS氏が「飲み過ぎ危険のメーターでも身体に表示されれば、用心するんだけど・・・自分ではわからんで、限度を越えてしまうもんね」

 そうです、何事も「わかっちゃいるけど、やめられない」
 
 お酒好きの方ならば、その場、その時の感情で楽しく、あるいはやけ酒で、身体(内臓)を酷使。

 仏さまから「お預かりしている命」といつも思っていれば、穏やかに大切に生きてゆけるのでしょうが、すぐ、忘れちゃうのが凡夫。
「無我」の境地なんて、遠~い、遠~い。  

 仏さま、ごめんなさ~い
 
 
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組 仏教婦人会で

2007年05月11日 | 行事・案内
 昨日はウチの寺が属している浄土真宗本願寺派11ヶ寺のグループの各寺仏教婦人会・役員さん方と、担当住職さんや各寺坊守で老人施設のK園を訪問しました。
 
 そもそも、ウチの組(お寺のグループ)の住職さん方が、毎月交代でK園を訪問。おつとめ・ご法話されておられるのですが、年1回は仏教婦人会もそれに便乗しての訪問です。
 
 4月から新しく組長になられたJ寺ご住職が、「組は『そ』と言います。○○組ですが、暴力団ではありません。」とK園入所者の方々に挨拶されておられました・・・。

 当番住職さんのおつとめ、ご法話の後、仏教婦人会がリードして、入所者の方々とご一緒に歌ったり、踊ったり・・・
 
 この数年は毎回、佐賀の盆踊り曲「むつごろう どん」に合わせて作成した、かぶり物をかぶって踊っています。
 黒のストッキングの両足の部分を丸め、丸めた部分に白のフェルトを縫いつけ黒マジックで目玉を描いて、有明海の「むつごろう」に似せた「かぶりもの」

 若手の住職さんたちは、お衣・輪袈裟スタイルにそのかぶり物をかぶって一緒に踊ります。  盛り上がりますよ



 さて、最近、気温差が大きいためか・・・北部九州の光化学スモッグ(中国から流れ込んだ大気の可能性が大らしい)のせいか・・・
 私、のどをやられています。このところ毎日住職の代わりに法務をつとめているのですが、お経をあげていると、声がかすれてくる・・・

 この数年、大気汚染を実感します。佐賀は空気がきれいなはずなのに、車の汚れ方がひどいです。ザラザラ・・・黄砂もあるのでしょうが・・・
 雨が降っても、雨自体が汚いので、車体はポツポツ雨粒の型だらけ・・・

 中国の工業化と共に、ますます、ひどくなるのでしょうか。
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毎月10日は

2007年05月10日 | 行事・案内
 毎月10日は、仏青の日

「仏青の日」とは、「仏さまが青ざめる日」のことでは、ありません。

「仏青」は「ぶっせい」「仏教青年会」を略した宗門内の言わば業界用語です。

 佐賀教区では、
 
 毎月10日 午後7時半~8時半まで 本願寺佐賀会館(県庁西隣)にて
「仏教青年連盟 聞法の会」を開催されています(8月と1月は休会)
 
 対象は 高校生以上、上限は、自分を青年と思う方まで
 
 「歎異抄」などの勉強をされているようです

 参加費無料  お念珠だけご持参ください

 お問い合わせは佐賀教務所(0952-23-7017)まで

 若い方々の素敵な出逢いがあるかも・・・です。

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