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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

真宗寺院の始まり

2007年05月05日 | 仏教
 そもそも、本願寺の始まりが、親鸞聖人のお墓に門信徒が絶えず訪れ、ご法義の話になる・・・(親鸞聖人ご自身は、「自分の遺体は鴨川に捨てて、魚の餌にしてくれ」と仰ったのですが、後の者は、そういうわけにはいきません。大切に思う方を大切に偲びたい気持ちがありますから、聖人のお墓を建てます。)
 いつも門信徒が集まるその廟所が、後の本願寺になるのですね。

 末端の各真宗寺院は、親鸞聖人の教えを喜ぶ門信徒の方々が作られた道場です。集会所ですね。
 で、その道場に、専従の管理人が必要になってくる。
 浄土真宗の住職(初代)は、その門信徒仲間の中から、「あなた、代表でこの道場を守る住職になってくれないか?」と、みんなに推薦された方が、就任されたのが、始まりです。(もちろん、今は同じ真宗寺院でも、各寺によって起源は異なります。大方の真宗寺院の始まりは、こういうことです)

 門信徒のご法義を大切に思う気持ち、報恩感謝と仏徳讃歎の気持ちから、寺院の荘厳が派手?に整えられて、今の荘厳のかたちになっていったのだと推察します。(私は、お荘厳の起源のことは、わかりませんが・・・)
 
 そして、時代は流れ・・・
 先祖が大切に築き、守ってきた真宗寺院の意味も、住職の役割も誤解されています。(住職側の責任が大でしょうが・・・)
 今、お寺に親しくお参りいただく年長者の方は、お寺の意味をご理解されておられるので、「自分たちのお寺を、自分たちで大切に」と思ってくださっているのですが・・・
 やがて、その子孫の方々が「お寺は不要」と言われるのであれば、お寺は消えてなくなる・・・それが真宗寺院であります。
 
コメント (2)
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