お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

郷土史によると 法専寺編

2007年05月18日 | 佐賀ネタ
 きょうはウチの寺の歴史です。
 
 戦国時代、肥前、肥後、筑前、筑後、豊前、壱岐、対馬の5国2島の大守と呼ばれたのが龍造寺隆信です。
  元亀年間(1570年頃)龍造寺隆信の家臣・池田主馬(この辺りの豪族)が大友勢の来襲の際、敵軍を破り大功を立てた。その功績に対しての恩賞として隆信に請うて建てたのが法専寺。
 龍造寺から鍋島(元は龍造寺の家老だった)時代になっても「南無阿弥陀仏」の六字になぞらえ御切米6石ずつ下賜され続けた。
 明治38年落雷で本堂など全焼。現本堂は明治43年に再建されたもの。

と紹介されています。
 残念ながら、明治の落雷火災で古文書、お宝類?は全て焼失したようで、ウチには明治以降の記録しか残されていません。だから、法専寺の歴史も郷土史で知るのみです。 現住職が18代目となっています。
 本堂は、私が嫁に来た年(26年前)に銅板屋根の葺き替え工事がありました。本堂が広いわりに柱が中にはないので、瓦は重くて支えられないのだそうです。
 天井、床下、壁・・・ちょこちょこ補修工事はしていますが、建物そのものは100年近くなるわけです。
 古いので隙間だらけの本堂です。夜中はネズミが運動会をしているようですが、
密閉されているより「風通し」がよく、小動物たちも自由にお参りできて、いいのかもしれません・・・
 代々坊守さん方が雑巾がけしてこられた床も、無精者の私はモップでササッと簡単掃除。

 そういえば法専寺の山号は、撫松山(ぶしょうざん)。山号が「ぶしょう」だからといって「無精山」にならないように、しっかりお寺を守らなきゃ
 
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2 コメント

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Unknown (維真尽)
2007-05-19 16:19:02
由緒のある お寺なんですねぇ~
さぞ~お宝もあったでしょうに
残念ですねぇ
古文書~建物自体~特に残念
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Unknown (法専寺)
2007-05-19 19:32:21
18代目として、お預かりしている身には、何の実感もないのですが・・・

今は、本堂屋根に避雷針がついているらしいです。
田んぼの中のお寺。私が来てからだけでも2回くらいはウチに落雷したみたいです。私はピカッ、ドーンという異様な光と轟音を聞いただけですが、少し離れた近所の方が「お宅に落ちたみたい」と仰っていましたから・・・
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