お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

「誰でもよかった」

2008年07月30日 | 仏教
 先日、NHK朝の連続テレビ小説「瞳」の中で、落ち込んでいる主人公に対し、中学生の少年が学校の先生の言葉として言ったのが、

「今、気分で落ち込んでいるだけだよ。本当の意志は違うはずだから頑張れるよ」(正確なセリフは覚えていませんが・・・)

 「気分」・・・そうなんだろうな~
 
 簡単に人を殺傷する事件があまりにも多すぎる。
 
 自分の一時的な「快・不快」の「気分」に、自分が支配され、何でも人のせいにして、どうにも取り返しのつかないことをしてしまう。

 しかも「誰でもよかった」と言うならば、
 
 「他人」でなく「自分」でもよかったわけで・・・
 
 その自分の「気分」がはれるまで「誰ならぬ自分」を思う存分、刺してみればよかったんだ。

 そうしたら、その痛みの中で、「自分が他の誰でもありえたわけで、自分は、こんなことをするために生まれてきたのだろうか」と、薄れゆく意識の中で、やっと気がつくことができるのではないだろうか・・・

 自殺も悲しいが、有差別で(自分が除外されているなら、無差別ではない)・・・いっしょうけんめい生きている人(自分も他人も大切に生きている人)を害することは、一番くやしくて、悲しい。

 
コメント (4)
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