お釈迦様は、釈迦族のプリンスでしたが、王宮の快楽生活を捨てられました。
お金も女も地位も・・・人にチヤホヤ、頭を下げられることも・・・「虚しい」と思われたわけですね。
そして、それはそれは厳しい苦行に励まれるのですが・・・
その苦行・極端な禁欲主義も捨てられます。
それは、「キツイから、もうヤ~メタ」ってことじゃなく、
肉体を極限に追い込んで修行しても、精神的に疲れて?、正しくない「妄想」を観、それを「真理に至った」なんて勘違いするかもしれない。
お釈迦様の弟子・ソーナさんが激しい修行を続けておられた時、お釈迦様はこう仰ったそうです。
「ソーナよ。おまえは琴を弾くのが上手らしいが、琴の弦は、あまり強く張っても、逆に、弱く張っても、いい音は出ないだろう。弦をほどよく整えることで、よい音を出すことができる。仏道もそれと同じではないか」
極端を排する「中道」が仏教であります。「ほどよく」「よいかげん」
お金も女も地位も・・・人にチヤホヤ、頭を下げられることも・・・「虚しい」と思われたわけですね。
そして、それはそれは厳しい苦行に励まれるのですが・・・
その苦行・極端な禁欲主義も捨てられます。
それは、「キツイから、もうヤ~メタ」ってことじゃなく、
肉体を極限に追い込んで修行しても、精神的に疲れて?、正しくない「妄想」を観、それを「真理に至った」なんて勘違いするかもしれない。
お釈迦様の弟子・ソーナさんが激しい修行を続けておられた時、お釈迦様はこう仰ったそうです。
「ソーナよ。おまえは琴を弾くのが上手らしいが、琴の弦は、あまり強く張っても、逆に、弱く張っても、いい音は出ないだろう。弦をほどよく整えることで、よい音を出すことができる。仏道もそれと同じではないか」
極端を排する「中道」が仏教であります。「ほどよく」「よいかげん」