お寺のオバサンのひとりごと

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白骨の章

2008年07月21日 | 仏教
 仏事の最後に、蓮如上人(本願寺第8代門主)が書かれた「御文章」(浄土真宗の教えをご門徒さんに宛てて書かれたお手紙)を拝読する作法になっています。

 「御文章」の中で、一般の方にも有名なのが「白骨の章」です。

 それ 人間の浮生なる相を つらつら観ずるに、おおよそはかなきものは
 この世の始中終 まぼろしのごとくなる一期なり、
 されば いまだ万歳の人身を 受けたりということをきかず 一生過ぎやすし、
 いまにいたりてだれか百年の形体をたもつべきや 
 われや先人や先 今日ともしらず明日ともしらず、
 おくれさきだつ人は ものとしずくすえの露よりもしげしといえり、
 されば 朝には紅顔ありて 夕べには白骨となれる身なり、
 すでに無常の風きたりぬれば すなわちふたつのまなこたちまちに閉じ
 ひとつの息ながくたえぬれば 紅顔むなしく変じて 桃李のよそおいを失いぬるときは、六親眷属あつまりて なげきかなしめども さらにその甲斐あるべからず さてしもあることならねばとて 野外におくりて、夜半の煙となしはてぬれば
 ただ白骨のみぞのこれり あわれというもなかなかおろかなり、
 されば 人間のはかなきことは 老少不定のさかいなれば たれの人も はやく後生の一大事を心にかけて、
 阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて 念仏申すべきものなり、あなかしこ あなかしこ


 本願寺の「御文章ひらがな版ー拝読のためにー の 解説によりますと

「浮生なる相」・・・人の世の定めのないありさまをいう。
「始中終(しちゅうじゅう)」・・・始は少年期、中は壮年期、終は老年期のこと。人の一生をいう。
「一期(いちご)」・・・一生涯
「万歳の人身(まんざいのにんじん)・・・一万歳も生きた人間。
「もとのしずくすえの露」・・・草木の根元に落ちる滴、草の葉の末にやどる露のことで、人の寿命に長短はあるが、いずれは死ぬというたとえ。
「桃李のよそおい」・・・桃や李(すもも)の花のように美しい姿。
「六親眷属」・・・父母・兄弟・妻子の六親と親戚の者。
「なかなかおろかなり」・・・言葉で表現すればかえって不十分である。

「後生の一大事」・・・「人がこの世を終え、浄土に生まれて仏のさとりをひらくこと」を人生最大の課題と蓮如上人は仰っています。

 つづく・・・




 
コメント (4)
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