エピソード0「操縦る(あやつる)」はこちら。
ファーストシーズンは確かに高視聴率だった。初回から最終回までほぼフラットな形だったことをしかしどう評価すればいいのだろう。
第一話でイチゲンの客をひっぱり、次第に下降して最終回で持ち直すという、いわゆる洗面器型の通常のドラマとは違っていたことを。小さくまとまっていたことで広がりを欠いたととるか、内容が充実していたために落ちが少なかったと評価するか。
それはともかくセカンドシーズン開始。ファーストから5年半ぶりの復活。なぜこんなに間があいたかといえば、原作のストックがたまるのを待っていたんでしょうか。
柴咲コウと吉高由里子の交代はやはり(吉高ファンなのに)納得できないなあ。変人で人間嫌いの物理学者とのアンサンブルにおいて、驕慢で口の悪いエリート刑事という取り合わせはどうなんでしょう。原作の設定を曲げてまで女性刑事を登場させた東野は怒らなかったんだろうか。
今回は宗教がらみ。信徒をなんらかの方法であやつって転落死させた教祖の“送念”とはなにか。彼はこのようなコントロールを何度も行っているという。
「何度も?……それを科学では何といいますか栗林さん」
ガリレオは先輩兼助手に問う。
「……再現性が高い」
「再現性が高ければ科学で解明できる」
ということで湯川は事件にコミットしていく。教祖を演じているのは大沢たかお。その妻に大好きな奥貫薫。福山雅治と吉高由里子の方がよほど邪悪に見えます(笑)。
このトリックは電子レンジの理屈を応用したものだが、インチキ教祖が悪徳商法で儲けていて、といった定型をひっくり返しているところに妙味があった。エコロジーのうさんくささにも十分に意識的。真犯人の邪悪さに、教祖が実は……な部分も深い。ただし、ドラマとしてのボルテージはまだまだ。
その13「指標す(しめす)」につづく。