わたしの世代だと、スーパーマンといえば1978年製作の(日本公開は悠長な時代だから翌年)クリストファー・リーヴ主演版だ。
もちろん、テレビでやっていた脂っぽいおっさんのバージョンも(もちろんリアルタイムじゃなくて)見ていたけれど、やっぱりクラーク・ケント=スーパーマンといえばリーヴ。のちに彼を襲った不幸(乗馬中の転落、下半身不随、リハビリ、早すぎる死)の印象もあって、これは動かせない。
特にすばらしかったのが第一作で、いまにいたるもわたしが経験したいちばん大きな劇場、新宿ミラノ座(お相撲さんが楽に座れる唯一の映画館)で観たこともあって忘れられない。タイトルがスキャニメーションで描かれるのも初体験だったのでわくわく。
滅び行くクリプトン星から脱出した赤ん坊が、アメリカのど田舎で成長していく前半は特に好き(あの幸福感に匹敵するのはロバート・レッドフォードが主演した「華麗なるヒコーキ野郎」のアバンタイトルぐらいだ)。異常な能力を発揮する息子を心配しながら死んでいく父親(グレン・フォード)。自分がなんのために地球に来たのかを自らに激しく問い
「ぼくは北へ行く。」 I go to north.
と宣言するクラーク……ああいま思い出しても泣けてくる。
ほぼ同じ物語を描きながら、しかし新作はだいぶイメージが違う。つくっているのがダークナイト組なので、とてもバットマン的。
自分が異物であることに思い悩む展開もいっしょだけど、ジョン・ウィリアムスの壮麗なマーチが鳴り響いた前回と違い、ハンス・ジマーの陰鬱な音楽もあいまってどうにも救いがない。
破壊そして破壊そしてまた破壊という展開は、まちがいなく描写として歴史に残るけれども(3Dメガネ+近眼メガネ+前夜に蚊にさされたのでまぶたが腫れている三重苦できつかったっす)、この暗さはバットマンには似合っても、スーパーマンにはどうなんだろう。
もちろん美点も多い。スタンリッジ似のヒーローの肉体はリーヴに負けていない。ロイス・レイン役は、前回のマーゴット・キダーが悪ずれしたルックスなのでクラークを堕落させるようにしか見えなかったし(だからわたしは好きだったの)、足手まといになるために出てくるとしか思えなかったのに比べ、新作のエイミー・アダムスは冷静かつエネルギッシュ。三十年たっていちばん変わったのはヒロイン像なのかな。
前作のファン向けに、ラストで少年クラークが父親(ケビン・コスナー)の前であることを行うんだけど、これにはグッときたなあ。次回作はこのラインでひとつ……