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大阪地検特捜部のずさんさは、黒幕だと決め撃ちした石井一議員の動きをきちんと精査しなかったあたりに読み取れる。
石井は昔から手帳に「いつ・どこで・誰と」会っていたかの詳細なメモをつけており、凛の会関係者と会っていなかったことがいとも簡単に立証されてしまったのだ。
「政治家になったときから、この記録はつづけている」
ある意味、検察に足元をすくわれてなるものかと実感しているに違いない旧田中派議員は違いますね。
その検察が、なぜこんな暴走をしてしまったか。東京地検が小沢一郎がらみの事件を(当時)立件できなかったため、大阪は石井で行こうと安易に手柄をとりに走ったのであろう。検察はこう考えた。この事件の背後には確実に政治家の影がある。そのためには、係長が勝手に証明書に判を押してしまったのでは都合が悪い。だから課長を引っぱれ!と。
捜査に入る前に、自分たちでストーリーを描き上げ、そのストーリーにそった証拠や自白だけを重視し、他を切り捨てる特捜の方法論自体がここで問題になる。フロッピーの改ざんはその象徴だ。
なぜ今ごろこの事件に関する本を読んだかおわかりですね。特捜はいま組織の存亡すら問われている。その時期に
・特捜批判のきっかけとなった小沢一郎関連がまた問題となり
・同じ旧田中派出身の議員を狙い撃ちし
・検察の取り調べが却下された事件を
・「~と推認できる」というようなあやうい文言で有罪判決をだした
現在の状況が、村木事件の意趣返しでないとはとても思えないからだ。だって、この判決を厚労省事件に敷衍したら、「係長がやったことを課長が知らなかったはずがない」と村木課長は文句なく有罪になってしまう。
小沢一郎的なるものへの排除のためになら“何でもあり”だと考えているとしたら、わたしたちが払う代償はとてつもなく大きなものになる。近ごろ、新聞を開くのが怖い。