ここでちょっとしたクイズを。下記の戒名の持ち主は誰でしょうか。
1.政覚院殿越山徳栄大居士
2.彰武院文鑑公威居士
3.東照大権現安国院殿徳蓮社祟誉道和大居士
4.風々院風々風々居士
5.新免武蔵居士
6.幽幻院鏡花日彩居士
7.陽光院天真寛裕大居士
8.白蓮院妙容日苑大姉
9.永照院仁徳一道義範大居士
……丸わかりのものもあって恐縮。答は最後に。
この本は、「朝まで生テレビ」のオウム真理教特集で名をあげ、同時にオウムがらみで評判を落とした島田の「葬式は、要らない」につづく仏教界への警鐘の書。新書の宿命である『結論の連続』のおかげでひたすらわかりやすい。
葬式仏教と揶揄される現代の仏教の最大の問題点は戒名であり、いわゆる戒名料が檀家の負担になっており、誰もが納得していない。それならば自分でつけるべきだ……というのが最初の提言。わかりやすい。
しかし後半の提言の方が現実的。檀家だって結局は見栄をはりたいために、日ごろ関係を深めてもいない寺に院号を求めている。だとしたら、本来は出家するときにつける名である戒名を、死んだときにつけるものだと現状に合わせ、寺の経営のために戒名料を葬式に含むことをある程度は檀家も甘受し、同時に、差別的な存在である戒名をすべて院号つきにしてしまえ、と。
檀家も寺も、ここはもうちょっと明解に(あいまいな部分を少しは残さないと、というあたりにも納得)しないと寺の、日本の仏教の行く末は暗いという主張はまっとうだと思う。
わたしは田舎の寺の(しかも住職のいなくなってしまった寺の)檀徒総代という立場だから、ことあるごとに寺に集められるのにはしんどい思いでいる。世襲なんてもので、離れがちな檀徒をしばりつけている事情もどうかと思う。あまりに疎遠な都会のルールもいかがなものかとも思うけどね。
でも、仏教伝来以前から先祖信仰が息づいている日本において、墓の問題はやはり大きい。わたしもちょっと考えてみよう。これは信仰の問題ではなく、あくまでも日本人の生活と死生観の問題だから。
※クイズの答
1.田中角栄
2.三島由紀夫
3.徳川家康(歴史上最長の戒名)
4.山田風太郎(自作)
5.宮本武蔵
6.泉鏡花
7.石原裕次郎
8.鈴木その子
9.田岡一雄