事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

千と千尋の神隠し

2007-10-14 | アニメ・コミック・ゲーム

Spirited_away_picture_35 「素晴らしかったわぁ!」
子どもや私よりも、妻の感動は並みではなかった。
「画面全部が懐かしいって感じ。」
それはまあ、そうだ。
「決めたわ。今度は、わたし一人でもう一回みる。」
それは……その間子どもの世話は私がしろっていうことなんだろうな。

うちの学校の生徒たちが、日曜日に見てきたと職員室で自慢するので訊いてみた。
「100点満点で、何点だった?」
「100点!!」ほぉ。
「でもねーこわかったんだよー」
「え?」
恐竜が出てきて」
「は?」
「予告編に。」シネマ旭の関係者は宮崎アニメの前に「ジュラシックパークⅢ」の予告を流すのはやめた方がいいな。

 史上空前の、とまで言われた今夏の興行戦争も結果が見え始めた。アメリカでの勝ち組が「猿の惑星」と「ジュラシックパークⅢ」(「A.I.」は惨敗、「パールハーバー」は大赤字)、日本ではその「A.I.」と「千と千尋の神隠し」が突っ走っている。特に「千と~」は「タイタニック」の興行記録を塗り変える勢いとか。「タイタニック」にいまひとつノレなかった(※)私としては、いけいけジブリ!と応援しているのでめでたい数字だ。平日に観たのに映画館が満員だったので、こいつは本当に行くかも。妻のようにリピーターも多そうだし。

※観た状況も良くなかったのかもしれない。例によって審査会帰りに一人で観た「タイタニック」だったが、場内はカップルでいっぱい。ディカプリオが沈んでいくシーンでは、まるで打ち合わせでもしていたかのように女の子が鼻をグスグスいわせながら一斉に男の肩に首を預けたのである。中年男としては「けっ!」となるのも仕方ないよなー。

181103_spirited_away_260 宮崎駿が新作に入ったとのニュースには、多くの人が期待したはず。しかしタイトルは長いこと「千と千尋の神隠し(仮)」となっており、いくら何でもこの難解そうな題名はないだろうとふんでいた。電通がかんでの「もののけ姫」の大ヒットはあったものの、それまでは宮崎アニメだからといって興行的に絶対視出来るものではなかったので(もののけ以外では「紅の豚」の配収30億がいっぱいいっぱい。「となりのトトロ」は6億にしか過ぎなかった)、大丈夫かなあ、と思っていたし、完成は封切ギリギリ、スタジオジブリの前作「ホーホケキョとなりの山田くん」は大コケ、競争相手が特に多い今年、と不安要素だらけだったのに……恐るべし、宮崎駿。

 前から不思議に思っていたが、宮崎はいわゆる“声優”をあまり起用せず、映画・演劇界から多く登用している。アニメ声優たちの一種の臭味を嫌ったのかもしれず、『好戦的旧左翼』としての本領で新劇に一種のコンプレックスがあるのかもしれない。前作の森繁久彌は見事だったが、どう転んでも自身にしか聴こえない森光子のような失敗もある。これまでの最高は「天空の城ラピュタ」の初井言榮だろう。亡くなった彼女を振り返るとき、まずはあのビッグママ、ドーラが思い浮かぶ人は多いはず。

 今回はみな見事だった。千尋の声がNHKのすずらん役(柊瑠美)だったのは後で妻から聞いて気づいたが、釜爺役の菅原文太の「ぐっどらっく。」には笑った。心配していた沢口靖子も“家族に少しキツくあたるママ”役を上手にこなしていたし。

 セルアニメの限界に挑む宮崎が、巨匠と呼ばれるようになったのは、もちろん「風の谷のナウシカ」からだが(「ぼくたちのために逃げてくれ!」あのセリフには泣いたなあ)、活劇好きの私にとっての最高作は「ルパン三世・カリオストロの城」と「天空の城ラピュタ」の城二部作。同世代のアニメオタクたちにはそんな奴が多い。他人事で言うが、こいつらはロリコン傾向が強く、アイドルとしてクラリスやシータをとらえている。ナウシカも含めて少女なのに巨乳、というあたりがオタクの心をくすぐるのかも(笑)。

Spiritedaway8 千尋は、彼女たちとは一線を画す。「となりのトトロ」のメイがそのまま大きくなったような、美人でもなく、胸もペッタンコな普通の娘が、異界での経験を経て、歴然と成長していく、このストーリーがまず素晴らしい。

そして何よりも異界の描写だ。江戸と上海、過去と現在、幻想と現実が混在する“この世界”は、露骨に宮崎の“夢の具現”だろう。ある意味こんなわがままな映画作りが許されるのは巨匠だからだ。そしてそのわがままを、同時に高度なエンタテインメントとして提供できるところが宮崎の凄味だといえる。

ただ、年齢のせいとは思いたくないが、どんな素材であっても目をみはるアクション活劇に仕立て上げてくれた今までと違い、千尋が銭婆(夏木マリおみごと)を訪ねて異界の列車に乗るあたり、はっきりと死出の旅を意識した作りになっていて、宮崎の枯淡を見てしまった思いはある。長篇はもう作らない、と相変わらずゴネているようだが、もう一作、ラピュタ~カリオストロ系の大活劇を作ってくれないだろうか。中年のオタクのわがままも、すこしはきいてくれよ。

Ponyo ※この時点から遠くはなれてよくわかった。08年に「崖の上のポニョ」(だったか?)という勝負作で打って出る宮崎の本音を考えてみよう。どれだけ疲弊しようと、表現者が表現をやめられるはずはないんだろう。

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「人間臨終図巻(上・下)」山田風太郎著

2007-10-14 | 本と雑誌

人間たちの死は、「臨終図巻」の頁を順次に閉じて、永遠に封印してゆくのに似ている
-山田風太郎

Yamada  私の書棚は自分でも呆れるくらい乱雑な状態にあるが、そんな中、他の本を蹴散らして燦然と輝いているのが函入りハードカバーの縁起でもない題名のこの本だ。上下巻各二千五百円、二十代の金の無かった頃に、おそらくは清水の舞台から飛び降りるようなつもりで買った本なのである。それほどに、私にとって山田風太郎は特別な存在だったし、十数年間文庫化されなかったのだから、早い時期にこの本に出会えて幸運ではあった。

題名のとおり、これは死の本である。

 ……県教組の監査に行って来た。私ほど会計に弱い事務職員に監査など出来るはずもなく、副委員長と酒田バナシをしに行ったようなもの。上期の監査では、同じ監査委員が十数キロ痩せているのにたまげたものだったが、今度はもうひとりが思い切り絞ってきた。なんなのだ。もちろん彼らは痩せざるをえなかったのだが、一つ二つ年下の連中がひたすら体に気をつけている現状は、少なからず私を考え込ませた。今までは予想も実感もしなかった自分の死が、体の中に巣食っているという怖れを、少しは持つようになったというか……(ダイエット食に挑む彼らを尻目に、一人とんかつ定食をゆうゆうと食ってみせる根性の悪さは治りはしないのだが)。

 「人間臨終図巻」は、古今東西の有名人九百数十名の文字通り死に様を、山田風太郎流に醒めたタッチで叙述した大作だ。15歳で死んだ八百屋お七から、121歳の泉重千代まで、死んだ年齢順という構成は気がきいている。年齢にしたがって読むにつれ、死に方の変遷に気づかされると同時に(若いほど、戦死、事故死、死刑の比率が高いのはもちろんだ)、自分がこいつの死んだ歳までとりあえず生きてきたんだな、という感慨が持てるのである。若い頃にはこんな読み方があるとは気づかなかった。ちなみに、41才(当時のわたしの年令)で死んだ連中は……

Okuboマゼラン(フィリピンの原住民に刺殺される)
今川義元(桶狭間の戦いで織田信長に敗北)
小栗上野介(斬首)
河井継之助(官軍に敗北して戦死)
マタ・ハリ(銃殺刑)
カフカ(結核)
石田吉蔵(阿部定により絞殺、死後局部を⇒ご存知のとおり)
アベベ(交通事故からは復活したが、心臓麻痺)
大久保清(絞首刑)

……このように何の脈絡もない人間たちが、41才で死んだという事実だけで括られる。見事だ。また、山田が医師であることと無縁ではないと思うが、思い入れをほとんど感じさせない筆致は、むしろその人間の人生を浮き彫りにする。

Andersen 例えばアンデルセン。
デンマークの貧しい靴屋で二十二才の父と、無教養な洗濯女で四十近い母との間に生まれたハンス・クリスチャン・アンデルセンは、“デンマークのオランウータン”と綽名のあったくらいの醜男で、そのくせきわめて女性的な性格の持ち主で、一生ついに女性から恋愛されることなく独身で終った。-実は彼は男色の大家であったといわれる。(略)この醜い男色の大家は、自分のみじめな少年、青春時代をさえ「童話」化した。(略)葬儀は国葬をもって行われ、王侯から乞食、老人から子供まで参列し、広大な聖母教会には弔問者の十分の一もはいれなかったという。コペンハーゲンのアシスタンス墓地の墓には、いまも花が絶えない。

 ドライであるが故に、彼の葛藤が伝わってくるかのようだ。「みにくいアヒルの子」が違った色彩を帯びて見えてくるではないか。

Modi1_jan19mae  例えばモディリアニ
 イタリア生まれの美貌のモディリアニは、二十二歳のときから、パリのモンマルトルに住んで絵をかきつづけたが、友人の詩人ズボロウスキー一人を除いては、誰も認める者はなかった。絵は只同然の値にしか売れなかった。貧窮の中に、彼は肺を病んだ。彼の生活はただ酒をのむことと、血を吐くことと、絵をかくことだけだった。(略)慈善病院でモディリアニは高熱を発し、大あばれにあばれ、一晩中詩を朗吟し、「なつかしいイタリア」とつぶやきながら、その翌日の夕方に死んだ。
 彼の子を懐胎していた愛人は、彼の死を知って、窓から飛び下りて自殺した。彼女の髪はひとふさ切りとられて、モディリアニの屍体の胸におかれた。
 モディリアニは、死んだとたんに、彼が天才であったことを人々に気づかせた。彼の棺にはたくさんの画家や作家や女たちがつづいた。警官さえも敬礼した。それを見て、三十九歳のピカソはつぶやいた。
「見たまえ、かたきはとれたよ」

……画家はもう、ほとんどがこの状態で死んでいる。音楽家もそう。因果な商売だ。昔は結核と梅毒が死病であったことが知れる。現代のエイズがそれに該当するだろうか。

 上下巻を読み終えると、何やら粛然とした気分になる。たとえどんな偉人であろうとも、死ぬ時は孤独な病人であることが多く、自分の業績に充足して安楽な死を迎えることがいかに稀有な例であるかを思い知らされる。まして凡人においては……果たして私の死は、その時家族は、墓は、老残をさらすのではないか、痛い死に方はいやだし、苦しさが永続する死に方はもっといやだし……心配や後悔が死に際に襲ってくることは今から鉄板に予想できる。

Katsu_kaisyuu 死にたくない死にたくない、と思っても、おそらく見栄や(ひょっとしたら)苦痛のために、ただ涙を流して終るのかもしれない。「コレデオシマイ」と気が遠くなるような名言を残して死んだ勝海舟の偉大さがよくわかる。そんな、死への予習としての教材にもなる図巻。必読でしょう。ただひとつ残念なのは、このタッチで「山田風太郎の臨終」を読むことだけはかなわないこと。「あと千回の晩飯」(朝日文庫)を連載していた彼は、もう二千回ぐらい晩飯を食べているはずだが、パーキンソン病が進行している彼に残された時間はもうほとんどない。せめて彼が生きているうちに、膨大な著作を読み進めることにしよう。

※山田風太郎は、当然忍法帖モノが有名だが(「甲賀忍法帖」「魔界転生」)、明治モノ(「警視庁草紙」「ラスプーチンが来た」)もお薦めしたい。一番は、このテのエッセイの冷たさなのだが。若いモンの間で再ブームになるのも、こんな御時世だからよくわかる。「司馬遼太郎と読者数が逆転していたら、日本はよほどマシな国になっていただろうに」という山田風太郎論に、私も全面的に賛成。そして彼もついに亡くなった。合掌

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BATTLE ROYALE

2007-10-14 | 邦画

BATTLE ROYALE
`00 東映 深作欣二監督作品 ビートたけし/藤原竜也/前田亜季主演

Battleroyale3  ストーリーはいたって単純明快。新世紀教育改革法(この名前からして強烈な皮肉)⇒BR法の施行により、日本全国の中学3年生から1クラスを「厳正なる抽選の上(笑)」選択し、無人島に連れて行って最後の一人になるまで殺し合いをさせる、これだけだ。

 原作は角川の日本ホラー大賞の応募作なのだが、選考委員にボロクソにけなされて(「活字にしたくない」)選外。太田出版が出したらベストセラーになったいわくつきの作品。ホラーの選考を林真理子になんかさせるなよ。

 原作と映画の最大の差は、クラスが3年B組に設定してあるようなパロディっぽさが後退し、真面目な問題提起(ビートたけしのセリフ「この国はすっかり駄目になってしまいましたー。」「人生はゲームです。」等々)が前面に出てきたこと。ユーモアのセンスの欠如が日本映画の欠点だと私はいつも思っているが、今回に限ってはこの脚色に賛同する。基調ははっきりと大人VS中学生の対決だし、十数年中学校に勤めてきた観客としては、洒落にならない状況を笑いで包むのはむしろ余計な作業だ。

 正直に言えば、教師に反抗した瞬間、即座に刺し殺される生徒を見て「やった!」と思ってしまった自分もいるわけで、全国の中高に勤める人間は必見の映画かも。自分の性根が試されるのだから。前の学校にいた体罰肯定教師は、原作を無邪気に面白がっていたし。

Battleroyale  役者もみんないい。ビートたけしの最後の本音には泣けるし、新人前田亜季はひたすら有望。25歳で中学生を演ずる山本(メロリンQ…って古いか)太郎は名演。ポンズダブルホワイトの(ファンデーションを使わない娘ね)柴咲コウと、後で気づいたら一言もセリフの無かった安藤政信の二人は中年から観てもかっこいいぞ。

 かっこ悪いのはこの映画の外側の方で、「BR法ではない真の教育改革を急がなければならない」と言い切る映画評論家にして文部官僚の寺脇研の言い草や、「社会道徳や秩序、青少年教育に影響を与えるものは、政府が判断すべきものではないか」とまるで戦前の検閲を復活させたいかのような発言をかました民主党(この党には馬鹿も多い)の石井紘基の頭の悪さ加減たるや……加えて、久しぶりの大ヒットなのに次の「頭文字D」のために上映館を変更せざるをえない東映の末期症状……この国は本当に駄目になってしまいました。
[2000年12月27日 酒田港座]

……あれから7年。安藤政信と柴咲コウのブレイクはめでたいかぎり。まもなく石井紘基が刺殺されたのには驚いた。バトルロワイヤルは、政治や宗教がからんで現実化しているかのようだ。

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