事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「必死剣 鳥刺し」その2

2010-09-04 | 邦画

Ikewaki02 その1はこちら

 この映画の骨組みははっきりしている。ラスト15分間の壮絶な斬り合いのために、それ以前のシーンは過剰なまでに静かに展開する。豊川悦司も、亡妻の姪であり、主人公の世話を焼いている里尾(りお……池脇千鶴)も、回想シーンをのぞけばまったく笑わない。それどころか感情の動きをほとんど見せないのである。

「閉門御免」

「お手向かい、いたしますぞ」

監督の平山秀幸はまじめな人だから、セリフのひとつひとつが吟味されている。「愛を乞うひと」「レディ・ジョーカー」「しゃべれどもしゃべれども」の人だからね。

さて、問題は最後の殺陣にある。

“鳥刺し”がどんなものか、原作ではあっさりとした説明。必殺剣であり、同時に使う人間にとって必死剣=必至剣であると。ところが映画ではかなり踏みこんだ説明が殺陣によってなされている。彼がなぜ藩主の愛妾を殺しながら、斬首されなかったか。ひとつには、“別家”として領民から尊敬をあつめる剣の達人(吉川晃司が渋い!)と対決させるため。そしてもうひとつは……

脚本がかなり周到。最後の敵をうちやぶるためには、“鳥刺しがすでに使われた”と誤解させなければならず、そのためにちょいとした技が披露される。この技は考えてある。くわえて、鳥刺しを使うには使い手が半死半生になっていなければならない。そのため、最初はとりまく藩士を峰打ちにして自分を弱らせるなどの工夫が満載。

ここから完全ネタバレ!

わからないのはですよ。その鳥刺しを使う直前に、豊川悦司は刀の紐をつかってある行動をとっており、ドラマの中盤で少年たちに鳥をとってやったときと同じように刀をひきしぼる。その行動が、鳥刺しの成功につながっているのか、どうにも判然としないのでした。見方が悪かったのかなあ。

池脇千鶴の童顔に激しい愛欲は似合わないと思った人も多いかも。でも、「ジョゼと虎と魚たち」で妻夫木聡に裸でむしゃぶりついたシーンが忘れられないわたしには、ちゃんと納得できるベッドシーンでした。布団だったけどさ。

この映画が罪深いのは、藤沢周平をまた読んじゃったので歯止めがきかなくなっちゃったのだ。困ったー。

Torisashi03

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「必死剣 鳥刺し」 (2010年 東映)

2010-09-04 | 邦画

Torisashi02  鶴岡まちなかキネマで鑑賞。前売り券はずいぶん前に購入済み。なにしろ羽黒支所の人がわざわざ学校まで届けてくれるというサービスぶりなので、熱意にほだされたわけ。まちキネの鑑賞券はまだまだあるので必要ないんだけど。

 さて、「必死剣 鳥刺し」は、庄内映画村や昨年わたしが訪れた玉川寺(例のくりん草で有名な禅寺ね)などがロケ地になっている地元映画。「おお、この神社は!」「この庭は!」とおなじみの風景が何度も映し出されるのでそれだけでも楽しい。

 原作は藤沢周平の短篇。「隠し剣孤影抄」(文春文庫)に収録されているので読んでいるはずなのにストーリーをすっかり忘れてました。おかげでまた買い直すはめに。なぜなら、原作と映画の微妙な違いがこの作品の勘所だと思ったから。

 オープニングは、庄内藩がモデルになっている海坂(うなさか)藩の城中で行われる能の舞台。演目は「殺生石」。原作では指定されていないが、この演目は二重の意味で作品を象徴している。

・九尾の狐が美女に姿を変えて上皇に仕え、やがて害をなすという筋書きなので、藩主の寵愛を一身にうけて政治にまで口を出すまでになった愛妾、連子をシンボライズしている(能が終わったとき、最初に拍手をするのが連子なのは、だから大いなる皮肉)。

・退治された狐は、石に姿を変える。鎮魂のために訪れる僧たちを、石は毒によって次々に倒していく……見た人はわかると思う。死んでからもなお必殺の剣をふるう主人公を象徴していると。

……あ、すでに思いきりネタバレになってしまいましたが、もうちょっとつきあって。主人公の兼見三左エ門(豊川悦司)は、能が終わり、連子(関めぐみがすばらしい)が退場するのを見はからってためらいなく彼女の胸を刺す。

 兼見がなにを思って連子を殺害したのか、連子が最後に見せた気弱な表情の意味は何か、実はこの作品は多くを語らない。おっと終わらなかった。以下次号

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