鉄ちゃんという存在がどうにもよくわからない。関川夏央にしても、みずからがそんなマニアであることに含羞を隠そうともしない。まったく有用ではないことに耽溺していることを意識しているからだろう。もちろんマニアとはそんなものなのであり、マニアであることで社会的価値が高まったり、高額の収入を得るのだとすれば、それは単に仕事になるわけだから。
有栖川有栖も関川も、分類すれば乗り鉄。鉄道旅という時代遅れの(照れ隠しの意味もあってか彼らは必ずそう規定する)楽しみが、実は退屈であり、同時に退屈であることがうれしいのだとするあたりがやっぱり複雑。わたしは鉄ちゃんになるには即物的すぎる。
「マレー鉄道の旅」は、そのオープニングがあまりにもみごと。でも、途中からマレー鉄道が物語に有機的につながっているわけではないことに気づかされる。まあ、さぞや鉄道旅が楽しかったのだろうなとは(笑)