事務職員へのこの1冊

市町村立小中学校事務職員のたえまない日常~ちょっとは仕事しろ。

「大不況には本を読む」 橋本治著 中公新書ラクレ

2009-10-15 | 社会・経済

Hashimotoosamu04 橋本治のことばにはいつも納得させられてしまう。「桃尻娘」の昔から(わたし、大学の現代文学の授業では桃尻娘でレポート書きました。ひねくれた教授だったので優をくれましたー)、彼の言うことは常に正論なのであり、正論でありすぎるがゆえに“意表をつく存在”というレベルに貶められてきたように思う。

ただ、その正しさに不安をおぼえてしまうのも正直なところ。この啓蒙の書においても、啓蒙書であると気づいた瞬間から(橋本治の著作が啓蒙書でなかった試しなどないが)身構えてしまう。はたして以下の橋本のことばに、あなたはどう対抗できるだろう。

今更言うまでもありませんが、日本は変わった国です。なにしろ、世界情勢を考えるに際して、「自分の国のあり方」を前提にして考えません。「自分の国のあり方」を「さて置いて」にして、世界情勢や国際情勢を考えます。それが正しい「客観的な認識」だという風に思っているのですが、それは「まず外国人の考え方を頭に入れる」というやり方です。

1990年代になると、自由化に踏み出した中国が「世界の工場」と言われる方向に進み出します。安くて豊富な労働力がこれを可能にして、中国は「ものを作って輸出する」という方向に進みます。欧米先進国は、これで困りません。もう「ものを作って輸出する」ということをあまりしていないからです。「中国が輸出で儲けるなら、その中国に投資をして分け前を得ればいい」という考え方をするからです。
進出する中国に脅威を感じるのは、日本です。なにしろ日本は、まだ「ものを作って輸出する」ということを当然にしている、世界でも珍しい先進国だからです。(略)そして、そのおかげで、日本は2008年秋に起こった金融危機からの被害を免れているのです……免れてそして、その後に起こる「円高による売上額の激減」と「世界的なマーケットの縮小」という事態に直面してしまうのです。

データ至上主義者達は暴走して、その暴走する道筋には「富」がばらまかれ、「データは分からないが富には敏感」という人達がこれに巻き込まれ、「もう危ないよ」という危険信号は何度も点りながら、暴走した「思惑」は、やがてデッドエンドに乗りあげるのです……それが2008年の秋です。

突然の大資本の出現は、その地域の経済を拡大させます。でも、その「拡大」は、その地域の中から生まれ出たものではありません。その地域の力は飽和状態になっていて、だからこそ外部からの「新しい力」に訪れてもらわなければならなかったのです。
大資本の登場によって、その地域は一時的に活性化して「発展」の色を見せますが、その発展を持続させるためには、外からやって来た大資本の力に依存し、大資本の存在する「遠くの経済圏の一員」になるしかないのです。それが「侵略」ですが、この「侵略」は、いたって日常的な形で起こります。つまり、「就職」です。
大資本にやって来られる……大資本のある経済圏と接近するということは、「就職口が増える」ということでもあって、そのことによって人は、外へ出て行ってしまうのです。

……本当に2008年の恐慌によって世界の何かが変わったのか、読者はそれを検証する間もなくなにごとかに対処せねばならぬ、と考える。オルガナイザーとしての橋本の力業が、またしても炸裂している。

本当に、この恐慌は今までとは違う種類のものなのだろうか。誰か反論ないですか。橋本にケンカを売るのは勇気がいるけどねぇ。

コメント
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