29世紀。廃墟となった地球上で、一体のロボットが清掃作業を続けている。彼の名はウォーリー。
唯一のともだちは“決してつぶれることのない”コオロギ(ゴキブリかも。でも一応ディズニー作品だからクリケットにしておきましょう)。そして楽しみは、700年前に人類が残したミュージカル映画「ハロー!ドーリー」を再生することだった(ビデオはベータマックス)。そんな七百年の孤独を過ごすウォーリーの前に、探査ロボット“イヴ”があらわれる……
背景にあるのは辛辣な文明批判だ。廃墟に残されたスーパーマーケットには
「Buy N Large」(でっかく買おう)だの
「We got all you need, and much more」
なんてキャッチフレーズがペイントされていて、結局のところ大量消費、大量廃棄を重ねたあげくに地球から逃避していった人間たちを皮肉っている。逃げ出せた人類はいいとして、他の生物は?それに贅沢ざんまいだったのはアメリカ人だけで……ま、今回その話はいいか。
つまりはわがままな人類がノアの方舟で脱出したあと、健気に地球をクリーンナップしてくれたロボットの純愛物語なのだ。応援したくなるじゃないですか。
名前からわかるように“最初の女性”でもあるイヴはしかしなかなか攻撃的で(笑)、異常を察知するといきなり爆撃してしまい、ウォーリーを心底びびらせる。このあたりは笑わせたなー。彼は「ハロー!ドーリー」の貧乏な青年のように(I Love Youは言えないけれど)彼女と手をつなぎたいだけなのに。
そしてウォーリーはある“宝物”を彼女にプレゼントする。イヴはその宝物をお腹に入れた途端にフリーズする(妊娠のメタファ)。宝物とともに連れ去られたイヴを救出するために、ウォーリーの活躍が始まる。後半に登場する清掃ロボットはフィギュアで売れるだろう。異物を徹底的に排除するその姿勢が、全体主義的である未来社会を象徴し、同時にウォーリーたちを助けるお得な役にもなっているので。
CGアニメのトップランナーであるピクサーのことだから、毎度とんでもない映像を見せてくれる。銀河をかすめて飛ぶシーンや、造物主である人間がつくりあげた摩天楼を、ウォーリーが廃棄物で模すあたりの画面には震えがくるほどだ。2-D中心のジャパニメーション関係者は、この画像をどう思って観ていただろうか。だいたい、この作品を“人生で最初の映画館で観た映画”にしてしまった子どもたちにわたしたち親の世代ができることは、『崖の上のポニョ』の興行収入を全部ぶちこんで、初めて達成できる表現なのだと説明する程度のことでしかない。
しかしこの会社がしっかりしているのは、むしろストーリーが常に練り上げられていること。今回も泣かせる。700年後のアダムとイヴが、異形のデバイスで“手をつなぐ”あたり、周到。彼らの“キスシーン”に感動しない人はいないと思う。露骨な「眠れる森の美女」のツイストでもある。
おまけに昔の映画のエッセンスがたくさんちりばめられていてうれしい。コンピュータの声をシガニー・ウィーバーにやらせたのは「エイリアン」へのオマージュだし、ある場面で「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れるのは重要なヒントだ。ちょっとネタバレだが「マトリックス」へのピクサーの返歌であるシーンも存在する。
手をつなぐという物理的なコンタクトで恋に落ちる未来人の名がジョンとメリーなのは偶然じゃないし、エンディングで新たな創世記(ジェネシス)が描かれるバックにピーター・ガブリエルとは……いかん、マニアックすぎましたか。音楽はこの映画で(ディズニーはいつもだけど)重要なファクターで、サッチモの「バラ色の人生」も効果的に使われている。
もちろん欠点もある。方舟の帰還にはそれなりのドラマが描かれるべきではなかったか、とか。一種の楽園からの追放でもあるわけだし。いっしょに観た娘もそのあたりを気にしていた。聖書が基礎になっている国民とは、受け取り方に差があって当然かもしれない。
しかし小屋主たちには悪いが、ハリポタが公開延期になって結果的にはよかったかも。おかげでこの映画の観客動員が歴然と増えたのだから。
ほとんど無声映画なのに、機械の一挙手一投足で(足はないけど)泣かせてみせる手管だけでも一見の価値あり。特に目の液晶画面でしか感情表現できないイヴにはおそれいった。キリスト者ではないわたしは、それでもこの映画をひたすら愛するしかない。傑作!