陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョイス・キャロル・オーツ「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その8.

2008-05-08 22:49:30 | 翻訳
その8.

 コニーは戸口に駆け寄り、鍵を掛けようとした。指がふるえる。
「何で鍵なんて掛ける?」アーノルド・フレンドは優しい声で、コニーの顔の前で語りかけた。「ただのスクリーンドアじゃないか。こんなことをしても何にもならない」

ブーツの片方が奇妙な角度に曲がっていて、なかには足がないみたいだった。先が左を向いて、かかとのところでねじ曲がっている。

「網戸だろうがガラスだろうが、板だろうが鉄だろうが、それ以外のものだろうが、誰だってその気になりゃ破るのは簡単だ。誰にだってな。ましてこのアーノルド・フレンドにはわけはない。この家に火がつけば、おまえはオレの腕のなかに飛び込む。オレの腕のなかなら、まるで自分の家みたいに安心できる――おまえもわかっているように、オレはおまえの恋人だし、ふざけるのもほどほどにしたほうがいい。お行儀のいいはにかみ屋の女の子ならいいが、おかまいなしにふざけるのは好きじゃない」こうした言葉の一部は、リズミカルな、軽く歌でも歌うような調子で口に出され、コニーはこれもまたどこかで聞き覚えがあるように思った――去年聞いた歌が耳に残っているような。女の子がボーイフレンドの腕に飛び込んでから、ふたたび家に戻った、というような歌だ――。

 コニーは裸足でリノリウムの床に立ったまま、彼をじっと見つめていた。「あなたは何が望みなの?」そっとそうささやく。
「おまえだよ」彼は答えた。
「何ですって?」
「あの晩、おまえに会ったとき思った。そうだ、あの子だ、とな。それ以上確かめる必要もなかった」

「でも父がじきに戻ってくるわ。わたしを連れに。わたし、まず髪の毛を洗わなくちゃならなかったから」気持ちのこもらない早口で言った。相手に聞こえるように、声の調子をあげることさえしなかった。

「いいや、おやじさんは戻ってこない、確かにおまえは髪を洗ったが、それはオレのためだったんだよ。ああ、きれいだし、キラキラしてる、それもオレのためなんだ。ありがとうよ、ハニー」ふざけてお辞儀をしながらそう言ったのだが、またしてもバランスを失いかけた。腰を曲げてブーツの具合を直している。どうやら足がブーツにぴったり合ってはいないらしい。おそらく何か詰め物をして、身長を高く見せようとしているのだろう。コニーは彼と、後ろの車のなかにいるエリー、コニーの右手のあたり、あらぬ方にじっと目を据えているエリーをにらみつけていた。そのエリーが、空中から言葉を引っ張り出しているような、まるでたったいまその言葉を発見したような口調で言った。「電話線を引っこ抜いてやろうか」

「口を閉じてろ。もう何も言うんじゃない」アーノルド・フレンドは言ったが、かがみ込んでいたために顔が赤くなっていた。ひょっとするとコニーにブーツを見られてはずかしかったのかもしれない。「おまえには関係ない話だ」

「何なの? あなたたち何をしてるの? 何がほしいの?」コニーは言った。「警察に電話したら、あなたたちつかまるんだから。逮捕されちゃうわよ」

「おまえが電話に手を触れさえしなければ、約束はそのままだ。オレは約束を守るつもりだ」彼はまた体をまっすぐにすると、肩をそびやかした。まるで映画の主役のように、何か重大なことを宣言するかのようなしゃべりかただ。だがその声はひどく大きく、コニーの後ろにいる誰かに話しかけているようだった。「オレは自分の家じゃないところに入っていくつもりはない。おまえがオレのところに出てきたらいい、やるべきことをやればいいんだ。おまえはオレがだれだかわからないのか?」

「あなた、おかしいわよ」彼女は小さな声で言った。戸口からあとずさったが、ほかの部屋に逃げたくはなかった。そんなことをしたら、ドアから入ってくる許可を与えるようなものだとでもいうように。「あなたは何を……おかしいんだわ……」

「はぁ? 何を言ってるんだ、ハニー」

 彼女の目は台所をさまよった。ここが、この部屋がいったい何だったのかも思い出せなかった。
「こういうことだ、ハニー。おまえは出てきて、おれたちと一緒に車に乗る。楽しいドライブに出かけるんだ。だがな、もしおまえが出てこなかったら、おまえの家の人たちが戻ってきて、みんなにわかってもらえるまで、おれたちは待つつもりだ」

「電話、引っこ抜いた方がいいか?」エリーが言った。ラジオを耳から離してしかめっつらをしている。ラジオがなければ空気の量が多すぎるとでも言いたげだった。

「黙ってろと言ったろうが、エリー」アーノルド・フレンドは言った。「聞こえなけりゃ補聴器を使えよ、わかったな。しっかりしろ。この小さな女の子はちっとも悪くはないし、じきにオレの言うことも聞くようになる。だからエリーは自分の面倒だけみてろ。この子はおまえのデート相手じゃない、いいな? オレにかまうんじゃない。でしゃばるな。手を出すな。じろじろ見るな。あとをついてくるな」早口のそっけない言い方で、以前習ったことはあるが、どの言葉も流れ去ってしまって、いまとなってはどんな言い方をすればよいのか定かではない、だから、目をつぶったまま、新しい言葉をつぎつぎと使ってみるというしゃべりかただった。

「境界線を越えて入ってくるな、シマリスの穴をにぎりつぶすな、オレの糊の臭いをかぐな、オレのアイスキャンデーを食うな。その油染みた手を引っ込めとけ!」彼の目が曇り、じっとコニーをのぞきこんだ。コニーはまた、テーブルのとことまで後ずさりした。
「やつのことは気にしないでいい。ひどいやつなんだ。のろまで。いいな? オレはおまえのものだし、オレが言ったように、こっちにレディみたいに出て来て、オレに片手をあずけてくれたら、誰も痛い目に遭わずにすむ。つまり、おまえの禿頭の親父もおまえのお袋さんも、ハイヒールを履いたおまえの姉さんも、何かの目に遭うようなことにはならないってことだ。なにしろおまえは言うことを聞くからな。あの人たちを巻きこまないようにしないとな」

(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その7.

2008-05-07 22:16:11 | 翻訳
その7.

「もし父が帰ってきてあなたを見たら?」
「おやじさんはまだ帰ってきやしない。バーベキュー・パーティに行ってるんだから」
「なんでそんなこと知ってるの?」
「ティリー叔母さんの家だろ? ちょうどいま――ああ、一杯やってるところだな。坐ってくつろいでる」曖昧な口調でそう言いながら、町を越えた先にあるティリー叔母さんの裏庭を見通そうとでもいうように目を細めている。やがて情景がはっきりしてきたのか、大きくうなずいた。「ああ、坐ってるな。おまえの姉さんは青いワンピースを着てるだろう? それにハイヒールだ、かわいそうな女だな――おまえとはまるでちがう。おふくろさんは太った女を手伝って、トウモロコシに何かしてるところだ。トウモロコシをきれいにしている、ああ、皮をむいてるんだな」

「太った女の人ってだれ?」コニーはさえぎった。
「オレが知るかよ、そんな太った女のことなんて。世界中にはオレの知らない太った女がゴマンといるさ」アーノルド・フレンドは笑った。
「あ、きっとミセス・ホーンビィだわ……だれがあの人を呼んだんだのかしら」コニーは言った。軽いめまいを覚える。息づかいも激しくなっていた。

「あの女はちょっと太りすぎだな。太った女は好きじゃない。おまえみたいな子が好きなんだよ、ハニー」そう言うと眠たそうな笑顔を見せた。ふたりはしばらくスクリーンドアをはさんで見つめ合った。

彼はそっと言った。「なあ、おまえはこれからこうするんだ。まずドアを出てこっちに来る。それから前の座席にオレと一緒に坐る。エリーは後ろに坐るし、やつのことなんかどうだっていい。わかるな? これはエリーとのデートじゃない。おれはおまえとデートする。おれはおまえの恋人だ」
「何ですって? あなた、おかしいわよ」

「いいや、オレがおまえの恋人なんだ。それがどういうことだかいまはわからなくても、じきにわかるようになる」彼は言った。「オレにはそれがわかるのさ。おまえのことなら何でもわかるんだ。だがな、よく聞けよ、オレが恋人だってことは実にいいことで、オレよりいい男を探そうったって無理な話だ。それにこんなに優しい男もいない。オレは絶対に約束は守る。これは言っておく。オレはいつだって最初のときには、初めての子に対しては優しいんだ。おまえをぎゅっとだきしめてやったら、おまえはもう逃げだそうとしたり、何かのふりをしたりしなくてもよくなる。そんなことはできないとわかってくるからだ。そうしてオレはおまえのなかに、おまえが誰からも隠しているところに入っていって、おまえはオレになにもかも委ねる。オレを愛するようになるんだ」

「いいかげんにしてよ! あなた頭がおかしいんじゃない?」コニーはそう言うと、戸口から後ずさった。両手で耳をふさいだその格好は、恐ろしいことを聞いてしまった、自分には何の関係もないのに、と言わんばかりだった。「ふつうのひとはそんなこと言わない。あなた、狂ってる」と低い声で言った。胸に収まりきらないほど心臓が大きくなったような気がして、激しい動悸のせいで汗が全身から噴き出した。外に目を向けると、アーノルド・フレンドは、ちょっと立ち止まってから、ポーチに向かって足を踏み出そうとして、ぐらりと体が傾いた。だが、ぬかりのない酔っぱらいのように、なんとかバランスを取った。長いブーツをぐらつかせながらも、ポーチの柱をぐっとつかんだのだった。

「ハニー」彼は呼んだ。「聞こえてるか?」
「ここから出ていってよ!」
「おとなしくするんだ、ハニー。言うことを聞けよ」
「警察を呼ぶわよ」

 彼はまたよろめき、口の端から短い呪いの言葉を素早く吐いた。彼女には聞かせるつもりはなかったらしいが、「クソッ」という悪態は不自然に響いた。そこでふたたび彼は笑顔を浮かべた。コニーはその笑みが広がるのを見ていたが、ぎこちない、まるで仮面の内側から浮かび上がってくるような笑みである。顔全部がお面なんだわ、と奇妙なことを思った。喉元は日焼けしているが、そこから急に白くなっている。まるで顔にしっくいを塗って、喉だけを塗り忘れたかのようだった。

「ハニー、聞いてくれ。こういうことだ。オレはいつだって本当のことを言うし、これは約束する。おまえを追いかけて家に入るつもりはない」
「だめに決まってるじゃない。警察を呼ぶわよ、もしあなたたちが――あなたたちが帰らなかったら」
「ハニー」彼はコニーの声にかぶさるように言葉を続けた。「ハニー、オレがそこに行くんじゃなくて、おまえがそこから出てくるんだ。何でだかわかるか?」

 コニーはあえいだ。台所はまるでいままで一度も見たことがない場所のように思え、どの部屋に逃げ込んでも危ないような、自分を助けてはくれないような気がする。台所の窓はこの三年ほど、カーテンを引いたこともなく、流しには――恐らく――彼女が洗うことになっているはずの皿があった。テーブルの上に手をすべらせれば、きっとそこには何かねばねばしたものがこびりついているだろう。

「聞いてるのか、ハニー。おい」
「警察を呼ぶから」
「電話にちょっとでもふれてみろ。オレも約束は守らなくてもよくなるから、中へ入るぞ。それは困るだろう?」

(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その6.

2008-05-06 22:37:55 | 翻訳
その6.

「なあ、何を考えてるんだ?」アーノルド・フレンドは聞いた。「車に乗って、髪の毛が風に吹かれてぐしゃぐしゃになったらどうしよう、なんてなことか?」
「そんなことじゃない」
「オレの運転がヘタだとでも?」
「なんでそんなことがわかるのよ」
「素直じゃない子だな。なんでそうなんだ?」彼は言った。「オレがおまえのフレンドだってわからないのか? おまえが向こうに歩いていくとき、オレが出したサインを見なかったのか?」
「どんなサイン?」
「オレのサインだ」

そういうと彼は空中にXの字を書きながら、コニーの方へ身を乗り出した。ふたりのあいだはおそらく三メートルほどのものだったろう。手が元の位置に戻ってからも。宙のXの文字はまだそこにあるように、目に見えさえするように思える。コニーはスクリーン・ドアが閉じるにまかせ、自分は内側に立ったまま、身動きひとつしないで、自分のラジオと男の子のラジオが入り交じって聞こえる音楽に耳を澄ませた。アーノルド・フレンドをじっと見つめた。彼は固さの残るままで落ち着いた格好をしていた。余裕がありそうな風を装って、片手を所在なげにドアの取っ手にかけていたが、そうやって自分を落ち着かせようとしているようにも見えたし、もう動くつもりがないかのようにも見えた。

彼が身につけているほとんどのものにコニーは見覚えがあった。太股や腰の線をあらわにしている細身のジーンズも、グリースを塗ったようなブーツも、ぴったりしたシャツも、どこか信用ならないにこやかな笑顔さえも、男の子たちが言葉にしたくないような思いを伝えようとするときの、のんびりとした夢見るような笑みなのだった。こうしたものすべて、彼女は見たことがあったし、彼の歌うようなしゃべり方のなかにある、かすかにからかうような、冗談を言っているような、にもかかわらず真剣で、どこか憂鬱そうな響きも知っていたし、ずっと後ろで流れている音楽に合わせて、拳をぶつける仕草も覚えがあった。だがこうしたものすべてがひとりの人間に一緒になっていたわけではなかった。

 急にコニーは口を開いた。「ねえ、あなた何歳なの?」

 彼の笑みが消えた。そのために彼が子供ではなく、ずっと年長の――三十代かもっと上――に見えた。そのことに気がついたとたん、彼女の胸の鼓動は速くなった。
「バカなことを聞くじゃないか。おまえと同い年には見えないか?」
「まさかそんなわけがないわ」
「ふたつかみっつ、上かもな。十八だ」
「十八歳ですって?」彼女は疑わしそうに言った。

 コニーを納得させようと、にっこり笑ってみせると、口の両側にしわが刻まれた。大きな白い歯をしている。口をいっぱいに広げて笑ったので、目が細くなり、コニーはなんて濃いまつげなんだろうと思った。濃くて黒くて、タールか何かを塗ったみたいだわ。するといきなり、とまどったような表情になって、肩越しにエリーを振り返った。

「あいつな、ちょっと危ないやつなんだ」彼は言った。「暴れるわけじゃない。ただ、イカれてるのさ。ほんもののな」エリーはまだ音楽に聴き入っている。サングラスのせいで、いったい何を考えているのか、見当もつかなかった。明るいオレンジ色のシャツは、ボタンが半分しかかかっておらず、胸がのぞいていたが、白い、血色の悪い胸で、アーノルド・フレンドのような筋肉などまったくなかった。シャツの襟を全部立てていて、顎より高い位置にきている襟の先で、顎を保護でもしようとしているかのようだった。トランジスタラジオを耳に押し当て、直射日光を浴びながら、恍惚とした表情で坐っていた。

「変わったひとみたい」コニーは言った。
「おい、彼女が、おまえが変わってるってさ! 変わってるんだってよ!」アーノルド・フレンドが怒鳴った。エリーの注意を引こうと車を叩いた。エリーが初めて振り向き、コニーは彼もまた子供ではないことに衝撃を受けた――白い、つるりとした顔、頬はかすかに赤く、静脈が透けて見えるかのようで、その顔は四十歳の赤ん坊だった。コニーはそれを見て、めまいの波が押し寄せてくるように感じていた。いま感じている衝撃を鎮め、何もかも、正常に戻すような何ごとかを待つかのように、彼の顔から目を離すまいとした。エリーの唇は、自分の耳元で炸裂する音に合わせてつぶやいているかのように、もぐもぐとずっと動いていた。

「ふたりとも帰った方がいいと思うわ」コニーは消え入りそうな声で言った。

「何でだ? どうしてだよ」アーノルド・フレンドは大きな声で言った。「オレたちはおまえをドライブに連れて行くためにここに来たんだ。日曜なんだぜ」いまの声は、ラジオで聞いた男の声だった。同じ声だわ、とコニーは思った。
「今日は一日中日曜だってこと、おまえは知らないのか? な、おまえが夕べ一緒にいたのが誰であろうが、今日、おまえはアーノルド・フレンドと一緒にいるんだし、それを忘れちゃいけない。こっちへ出てこいよ」彼は言ったが、最後の言葉は、別の声に変わっていた。いささか抑揚の乏しい、外の暑さがとうとうこたえてきたとでもいう感じだった。

「行かないわ。やらなきゃいけないことがあるんですもの」
「おいおい」
「ふたりとも帰った方がいいわ」
「おまえが一緒に来るまではここを離れるつもりはない」
「わたしが絶対に行かないって言っても?」
「コニー、遊びはやめだ。つまり――オレが言いたいのは、冗談はよせってことなんだ」彼はそう言いながら頭をふった。疑い深そうに笑ってみせる。サングラスを頭にかけたが、実際にかつらをかぶっているかのように慎重に持ち上げ、つるを耳にかけた。コニーは彼を見つめていたが、まためまいの波が押し寄せ、恐怖がこみあげてきて、一瞬彼の姿が焦点を結ばず、金色の車を背に立っている姿がぼやけた。彼は確かに車で私道に入ってきたが、彼は本当はどこからかやってきたのでも、これからどこへ行くのでもない、ただ自分が彼のことや、音楽のことを空想するのがくせになってしまっていたから、何もかもが半分現実になってしまったのだ、と考えていた。


(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その5.

2008-05-05 22:54:00 | 翻訳
その5.

「コニー、嘘を言っちゃいけない。今日はオレとドライブに行くために時間を空けておいたんじゃないか、自分だってわかってるだろう」笑いながらそう言った。やがて笑いの発作もおさまって、体をまっすぐに起こしたが、そのようすは、すべてがお芝居だったことを示していた。

「どうしてわたしの名前を知ってるの?」いぶかしげにコニーは尋ねた。
「だってコニーだろ」
「かもしれないし、そうじゃないかも」
「おまえはオレのコニーさ」そう言いながら指を振った。もうレストランの裏手で会ったときの彼の記憶も、ずいぶんはっきりとしてきていた。すれちがったとき、自分がはっと息を呑んだことや、彼を見たときの自分が、おそらくどんな目をしていたかということを思い出して、コニーの頬は熱くなった。このひとはわたしを忘れないでいてくれたんだ。

「エリーとオレはおまえのために特別にここまで来てやったんだ」彼は言った。「エリーは後ろへ坐ってるから気にしなくていい。さあ、どうする?」
「どこに行くの?」
「どこに、ってどういうことさ?」
「わたしたち、これからどこに行くの?」

 彼はコニーをじっと見つめた。サングラスを外すと、目の周りの皮膚が白く、日陰ではなく、日の光のなかで見る穴のようだった。親しみをこめた目は、光を反射するガラスの破片のようにきらめいている。彼は微笑んだ。どこか、決まった場所に向かってドライブする、などということは初めて聞いた、とでもいうように。

「ただ車を走らせるんだ、コニー」
「わたしの名前がコニーだなんて、一言も言ってない」
「だけど知ってるんだ。おまえのことなら、名前だろうがなんだろうが、全部知ってるのさ」アーノルド・フレンドは言った。身動きせず、まだ自分のぽんこつの車に身を預けたままだ。「おまえには特別に興味があるのさ、かわいい女の子だもんな、だからおまえのことならなんだってわかるんだ――おまえのおやじとおふくろと姉さんがいま出かけてるってことも、どこへ行ったかってことも、いつぐらいまで帰ってこないかってことも、夕べおまえが一緒にいたのは誰かってことも、おまえの親友の名前がベティだってこともな。そうだろ?」

 彼の声は、何の変哲もない、小さな声で、ちょうど歌を口ずさむようなしゃべり方をする。その笑顔は、何も怖いことはない、と言い聞かせるようだった。車の中ではエリーがラジオの音量を上げて、わざわざふたりの方に目をやることもしなかった。

「エリーは後ろに坐ってりゃいい」アーノルド・フレンドは言った。さりげなくあごをしゃくって自分の連れを示した。エリーなどものの数ではないから気にしないでいい、とでも言うように。

「うちの家族のこと、どうしてわかったの?」コニーは聞いた。
「まあ聞けよ。ベティ・シュルツだろ、トニー・フィッチに、ジミーとナンシーのペッティンガー兄妹」詠唱するように続けた。「レイモンド・スタンレー、それからボブ・ハッター」
「その子たちをみんな知ってるの?」
「みんな知ってる」
「うそ、冗談ばっかり。あなた、ここらへんのひとじゃないでしょ」
「ここらへんのひとさ」
「なら――いままでなんで会ったことがないの?」
「会ったことがあるに決まってるじゃないか」自分のブーツに目を落としたそのようすは、ちょっとムッとしたようにも見えた。「忘れちまっただけだ」

「もしかしたら会ったかもしれない」コニーは言った。
「だろ?」上げた顔は輝いていた。うれしそうな顔をだった。エリーのラジオから流れてくる音楽に合わせて、足でリズムを取りながら、両の拳を軽く合わせ始めた。コニーは笑顔になっている彼から、目を車の方へそらしたが、その車の色があまりに明るいので、じっと見ていると目がいたくなりそうだ。名前を見た。ARNOLD FRIEND(アーノルド・フレンド)。そこから前のフェンダーに目を移すと MAN THE FLYING SAUCERS(空飛ぶ円盤の男)という見慣れた言葉が書いてあった。去年、子供たちのあいだでの流行り言葉だったが、今年はもう誰もそんなことを言わなくなっていた。コニーはそれをしばらくじっと見ていた。まるでそこには自分が未だ知らない意味がこめられているとでもいうように。

(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その4.

2008-05-04 22:49:18 | 翻訳
その4.

 コニーは台所に行って、勝手口にそろそろと近づき、スクリーン・ドアを開けて、裸足のつま先を丸めるようにして、階段をおりていった。車の中には男の子がふたりいたが、そのとき、運転席にいる方が見えた。もじゃもじゃの黒い髪は、かつらかと思うほど妙ちきりんだ。彼はコニーににやっと笑いかけた。

「遅かったかな、オレ」彼が言った。

「あなたいったいだれよ」コニーは聞き返した。

「オレに出てってほしいわけじゃないんだろ?」

「あなたがどこのだれかも知らないのよ」

 コニーはふくれっつらでそう言い、興味があるとか喜んでいるとかという印象を与えないように慎重にふるまったのだが、彼の方は頭の良さそうな、抑揚のない早口で話した。コニーは後ろにいるもう一人の男の子の方にことさら時間をかけて目を遣った。明るい茶色の髪をしていて、額にひねった前髪を垂らしている。もみあげをはやしているせいで、きつい、機嫌の悪そうな顔になっていたが、コニーの方をほんのちらりとも見ようとはしなかった。ふたりともサングラスをかけている。運転席の方の彼はミラータイプのサングラスをかけていて、なにもかもがミニチュアサイズになって映っていた。

「乗らないか」

 コニーは気取って少しだけ笑みを浮かべると、髪の毛をゆるく一方の肩にまとめた。

「オレの車、いいだろう? 最近、塗り替えたんだ」彼は言った。「な?」

「どうかした?」

「おまえ、かわいいな」

 コニーはいかにもいらいらしたふうを装ってドアの蠅を追い払った。

「オレのこと信用できない? それとも何かあるのか?」

「だから、わたし、あなたがだれかってことも知らないのよ」コニーは怒ったように言った。

「おい、エリー、ラジオをつけてくれよ、おれのは壊れてるんだ」自分の連れの手を持ち上げて、彼が持っている小さなトランジスタラジオをコニーに見せた。やがて音楽が聞こえてきた。さっきまで家の中で聞いていたのと同じ番組だった。

「ボビー・キングでしょ?」

「オレはいつもボビー・キングを聞いてる。ほんと、すごいぜ」

「そうね、いいわよね」コニーは仕方なく認めた。

「そうさ、あいつはすごいんだ。どこで勝負をかけたらいいかわかってるんだ」

 コニーの頬が少し赤くなったのは、サングラスのせいで、この男の子がいったいどこを見ているのかわからなかったからだった。好きになってもいいのか、いかれたヤツなのか判断がつかないために、ドアのところでぐずぐずしたまま、外に出ていくか、中に引っ込むか決めかねていた。コニーは尋ねた。「その車にはなんて書いてあるの?」

「読めないのか?」ドアを慎重に開けたが、その仕草はまるでドアが外れるのを恐れているかのようだ。同じように慎重な動作で出てきたかと思うと、両の足をしっかりとふんばって地面に立った。サングラスに映った小さな金属の世界が、ゼラチンが固まったようにぷるぷるとふるえ、その真ん中にコニーの明るいグリーンのブラウスがあった。

「まず、ここに書いてあるのがオレの名前だ」と言った。サイドボディーにタールのような黒い文字でARNOLD FRIEND(アーノルド・フレンド)とあって、その横に丸いニコニコわらっている顔が描いてある。それを見てコニーは、カボチャみたい、と思った。サングラスさえかけてなきゃ、だけど。

「自己紹介をしよう。オレはアーノルド・フレンド、ほんとうにそういう名前なんだが、おまえのフレンドでもある、で、車の中にいるのがエリー・オスカー、ま、シャイなやつだ」エリーはトランジスタラジオを肩の上にのせて、バランスをとった。

「この数字は秘密の暗号だ」アーノルド・フレンドは説明した。33、19、17と数字を読み上げ、眉を持ち上げて、コニーの反応を探ろうとしたが、コニーは別に何とも思わなかった。後部フェンダーがへこんでいてそのまわりのけばけばしい金色の車体に、こう書いてあった。“イカれた女ドライバーにやられた”。コニーはそれを見て笑ってしまった。アーノルド・フレンドはコニーが笑ったことに喜んで、コニーを見上げた。

「反対側にはもっといろいろ書いてあるんだ。そっちも見たくないか?」
「見たくない」
「なんで?」
「なんでわたしが見なきゃいけないの?」
「車にいろいろ書いてあるのが見たくないのか? こいつに乗りたくない?」
「わかんないわ」
「なんで?」
「だってやらなきゃいけないことがあるんだもの」
「何をやらなきゃいけないんだ」
「いろいろ」

 コニーが何かおもしろいことを言いでもしたかのように、声を上げて笑い、腿を叩いた。彼の立ち方は変わっていて、車に背をもたせかけているのに、バランスを取っているように見えた。背は高くない。隣に並べば、コニーよりほんの数センチ高いぐらいだろう。コニーは彼の服の着こなしがステキだと思った。みんながそんな格好をしていたのだが。細身の色のあせたジーンズを、くしゃくしゃのブーツのなかにたくしこみ、ベルトを食い込むほどきつくしめていたので、どんなに細身かよくわかった。プルオーバーの白いシャツは少し汚れていて、腕や肩を薄いがしっかりした筋肉がおおっているのが見えた。おそらくきつい仕事をしているのだろう、荷物を持ち上げたり運んだりするような。首にまで筋肉がついているようだった。なんとなく、どこかで見たことがあるような顔立ちをしている。一日か二日、髭を剃っていないのだろう、あごやほほにはわずかに影ができていた。高い、鷹のような鼻をしていて、コニーが獲物で、それに飛びかかろうとしているかのように、ひくひくと動かしたが、もちろんそれは冗談のつもりだったのだろう。

(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」その3.

2008-05-03 22:57:45 | 翻訳
その3.

 翌朝、姉のジューンが夕べの映画はどうだったの、と尋ねたので、コニーは「まあまあだった」と答えておいた。

 コニーは昨日の子と、ときにはさらにもうひとり別の子も加わって、週に何度か出かけたが、それ以外の日には家にいて――いまは夏休みだったのである――、母親の邪魔をしたり、デートした男の子たちのことをあれこれ考えたり空想したりして過ごしていた。だが男の子たちはみんな記憶のなかで薄れていき、まざりあってたった一つの顔、顔というより実際にはイメージや雰囲気が、せきたてるような激しい音楽のリズムと湿った七月の夜の風とまざりあっていくように思えてくるのだった。母親はいつもコニーのあとをついてきては、昼の光のなかに戻そうと、用事を言いつけたり、脈絡なく「ペティンガーさんところの女の子はいったいどんな子なの?」と言ったりするのだった。

 そんなときコニーは決まってぴりぴりした調子で「ああ、あの子。うすのろよ」と答えるのだった。コニーはいつも太い、はっきりした線を自分とその手の女の子たちのあいだに引いていたのだが、母親は単純かつお人好しにも、コニーの言うことをそのまま信じるのだ。ママったらほんとに単純なんだから、とコニーは考える、ママのことをバカにするなんて、ひどいことなのかもしれない。

母親は古ぼけた寝室用のスリッパをはいて家の中をペタペタと歩き回っては、自分の姉妹のうちのひとりに電話しては、姉妹の別のだれかの悪口を言い、さらにさっきまで悪口を言っていた当人を電話口に呼んで、向こうのふたりと一緒に、残るひとりの悪口を言う。そこにジューンの名前が出るときは、母の声の調子も満足の調子を帯び、コニーの名前は不満の意をこめて口にされる。だがそれも、別に母親がコニーを嫌っているからではなく、実のところ、コニーはわたしの方がジューンよりかわいがられている、それもわたしの方が美人だからだ、と思っていた。なのにママもわたしも、仲の悪いふりをしてる、ほんとはどうだっていいようなことで言い合ったりケンカしたりするような意識を持ち続けているんだわ。ときどき、一緒にコーヒーを飲んだりするようなとき、ほとんど友だちと言ってもいいような仲になったが、何かが――たとえば蠅が急に頭のまわりをぶんぶん飛び回るような、いらだたしいことが起こると、たちまちお互いの顔はこわばり、うんざりしてしまうのだった。

 ある日曜日のこと、コニーは十一時に起きて――家には教会にわざわざ行くような人間はいない――髪を洗い、日向に出て一日がかりで乾かすつもりでいた。両親と姉は叔母の家でのバーベキュー・パーティに行く予定だったが、コニーは、わたしは行かない、と言った。そんなもの、興味ないんだもん。目玉をぐるりと回して、それが本心であることを母親に伝える。
「なら家にいなさい」母親は厳しい声で言った。

コニーは外に出て、芝生に置いた椅子に背中をあずけ、家族が出かけるのを見送った。物腰の穏やかな禿頭の父親は車を出すためにバックさせようと背中を丸めており、母親のまだ怒ったままの表情は、フロントガラスごしでもいっこうに和らいでは見えなかった。後部座席にはかわいそうなジューンが、叫び声をあげて走り回る子供や蠅だらけのバーベキューがどんなものか知らないとでもいうように、上から下までめかしこんでいた。

コニーは日差しのなかで目を閉じてすわり、夢うつつで自分を取り巻く暖かさにぼうっとなりながら、まるで日差しが一種の愛であるかのように、愛撫されているかのように感じていた。コニーの気持ちは昨晩一緒に過ごした男の子に漂い始め、彼がどれほどステキだったか、ずっとどれほど優しかったか。それもジューンが考える“ステキ”や“優しい”ではなく、映画に出てくるような、歌にも出てくるような“ステキ”や“優しい”なのだった。目を開けても自分がどこにいるかわからない、裏庭の向こうには雑草が生い茂り、木立が囲いのように続いていて、その向こうの空は抜けるほど青く、静かだった。

 ひどく暑い日だった。家に入り、静かさをうち消すためにラジオをつけた。ベッドの端に裸足のまま腰をおろして、一時間半ほどXYZサンデー・ジャンボリーという番組に耳を傾けた。激しくテンポの速い、シャウトするような曲に合わせてコニーも歌い、レコードの合間に“ボビー・キング”の叫ぶ声が聞こえた。「さあ、よく聞いてくれ、ナポレオンの女の子たち――サンとチャーリーがこの新曲から目を離さないでくれ、と言ってるぞ!」

 コニーが目を離さないでいたのは自分自身で、ゆっくりと湧き上がってくる喜びに浸っていたが、その喜びは、音楽のなかから密かに立ち上ってくるもののようにも、風の入らない小さな部屋に所在なく横たわっているようにも思えてきて、コニーがそっと息を吸ったり吐いたりするたびに、胸がかすかに盛り上がったりへこんだりするのだった。

 しばらくして、私道に入ってくる車の音が聞こえた。驚いてぱっと立ち上がったのは、父親がそんなにすぐに帰ってくるはずがなかったからだ。外の通りから入ってくる私道にしきつめられている砂利がきしる音に――私道の距離は長い――、コニーは窓へ駆け寄った。知らない車だった。旧型のオープン・カーだ。明るい金色に塗った車体が、日を鈍く照り返している。胸がドキドキしはじめ、指を髪にからませて確かめながら、「どうしよう、どうしよう」とつぶやいた。きっとひどいざまじゃないかしら。車は勝手口のところで停まり、クラクションが短く四回聞こえてきた。まるでコニーがよく知っている合図であるかのように。

(この項つづく)

(※「鶏的思考的日常vol.19」更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html

ジョイス・キャロル・オーツ「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」

2008-05-02 22:11:55 | 翻訳
その2.


 いつもショッピングセンターをショートパンツをはいて、手首のブレスレットをじゃらじゃらいわせながら、ぺたんこのバレエシューズを引きずるように舗道を歩いていくふたりの姿は、おなじみの光景になっていたにちがいない。おかしな人や気になる人とすれちがうたび、身を寄せ合って、ひそひそとささやいてはこっそり笑い合うのだった。

コニーは人目を引く濃いブロンドの髪を長く伸ばしていたので、一部を頭の上でおだんごに丸め、残りはそのまま後ろに垂らしていた。ジャージ素材のボタンのないブラウスを着ていたが、家でその格好をしているときと外にいるときは、ちがったふうに見えた。コニーの何もかもがそうしたふたつの面、家での顔と家以外の場所で見せる顔を持っているのだ。歩き方にしても、家では子供らしくぴょこぴょこと歩くのだが、そうでないときは、物憂げな、人によっては、頭の中で音楽でも聴いているのではないかとさえ思えるような歩き方だった。口も、たいていのときは血色の悪い、うすら笑いが張り付いているような口元だったのだが、夜、外に出たときはピンク色に輝いているのだった。笑い声も、家では皮肉っぽい、うんざりしたような響きがあったが――「あはは、おっかしいー」――それ以外の場所では、甲高く神経質そうな、ブレスレットのかざりが鳴る音のような笑い声だった。

 買い物をしたり映画に行ったりすることもあったが、混み合う車をよけながらハイウェイを走って横断して、もう少し年かさの子供たちがたむろするドライブインレストランに行くこともあった。そのレストランは大きなビンの形をしていて、実際よりはいささか角張ってはいたが、ともかくビンのキャップにあたる場所では、ハンバーガーを高々と掲げて歯をむき出して笑う男の子の人形がくるくる回っていた。

真夏のある晩、勇をふるったふたりが息せき切って大通りを渡ったところで、車の窓から身を乗り出して、声をかけてくる者があった。ただの男の子だったが、ふたりがあまり良い印象を持っていない高校の生徒である。無視してやったので、ふたりはすっかりいい気分になった。駐車したり、ぐるぐる回ったりする車の迷路を抜けて、明かりのともった誘蛾灯のようなレストランに近づいていく。その顔は喜びと期待にあふれ、まるでこれから入っていくのが夜の闇に浮かび上がる聖堂、探し求めた安息と祝福を与えてくれる場所であるかのようだった。カウンターの席に腰かけて、かかとのところで足を交差させる。興奮のためにほっそりした肩をこわばらせ、あらゆるものをすばらしく変えてしまう音楽に耳を傾けた。音楽はいつも背景に流れていた。まるで教会でのミサのように。音楽は確かに拠り所といってよかった。

 エディーという男の子が話しかけてきた。スツールに後ろ向きに腰をおろすと、勢いよく半回転させては止め、また反対方向に回す。しばらくしてコニーに、おなか空かない? と聞いた。何か食べてもいいわ、とコニーは答え、立ち上がり際に連れの腕を軽く叩くと――コニーを見上げた顔には、平気よ、と言わんばかりのおどけたような表情が浮かんでいた――、十一時に通りの向こうで落ち合おうね、と約束した。

「あんなふうにあの子を残して行くの、いやだな」コニーは心からそう言ったのだが、男の子の方は、すぐに相手ができるさ、と答えた。それからふたりは彼の車に向かったが、そのあいだ、どうしてもコニーの目は、車のフロントガラスや周りの人の顔にさまよってしまうのだった。コニーの顔は喜びに輝いていたが、それはエディーとも、この場所とさえも何の関係もなかった――だが、音楽のせい、となら言えたかもしれない。胸を張って深々と息を吸いこみ、生きていることの純粋な喜びを感じる。その瞬間、ほんの十数メートルほど先にいる顔に、ちらりと目がいった。ぼさぼさの黒い髪をした男の子が金色に塗り直した旧型のコンパーティブルに乗っている。コニーをじっと見つめていたが、急に唇が広がってにやりと笑った。コニーは相手を見ていた目を細め、つんとソッポを向いたが、どうしてもそちらにもういちど目を遣らずにはいられなかった。まだこっちを見てるわ。彼は一本の指を振って笑いながら言った。「おまえはじき、オレのものさ、ベイビー」コニーは顔をふたたび背けたが、エディーは何一つ気づいてはいなかった。

 エディーとは三時間ほど過ごした。レストランでハンバーガーを食べ、ずっと汗をかいている紙コップに入ったコーラを飲んでから、路地を一キロあまり奥へ入っていった。エディーと別れたのは十一時五分前で、ショッピング・センターのなかでは映画館だけがまだ開いていた。コニーの友だちはそこで男の子と話をしている。コニーは近寄っていって、友だちとにっこりと笑い合った。「映画はどうだった?」コニーが聞くと、相手は「知ってるはずよ」と答える。友だちの父親の車に乗り込んで、眠くはあったがご機嫌な気分で、暗くなったショッピングセンターや空っぽの広い駐車場、もうネオンサインも消えて気味が悪くなった光景を、振り返って見ずにはいられない。向こうのドライブインレストランでは、何台もの車が疲れも知らず、ぐるぐると円を描いている。その距離では、音楽は聞こえなかった。

(この項つづく)

ジョイス・キャロル・オーツ「「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」

2008-05-01 22:53:59 | 翻訳
今日からジョイス・キャロル・オーツの "Where Are You Going, Where Have You Been?" を訳していきます。1966年に発表されたこの短編は、オーツの初期の代表作でもあり、アメリカの短編アンソロジーの定番でもあります。60年代のアメリカの雰囲気を色濃く映し出している作品の冒頭に、「ボブ・ディランに」と献辞がついています。

だいたい十日くらいをめどに訳していくので、まとめて読みたい人は、そのころにまた来てみてください。

原文はhttp://jco.usfca.edu/works/wgoing/text.html で読むことができます。

* * *

「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」
("Where Are You Going, Where Have You Been?")

by by Joyce Carol Oates


 彼女はコニー、十五歳で、ほんのちょっとのあいだ神経質そうにクスクス笑う癖は、首を伸ばして鏡をちらっとのぞきこむときとか、自分の姿かたちが大丈夫かどうか、相手の表情を見て確認しようとするたびに出る。母親は、自分の顔など隅々までよく知っており、新たな発見などあるはずもないために鏡に向かうこともなかったから、コニーの癖にはいつも小言を言った。

「自分の顔に見とれるのはやめて。何様のつもり? 自分のことをそんなに美人だとでも思ってるの?」と決まって言う。いつもながらの文句に、コニーもそのたびに眉をあげてみせるのだが、一緒に母親の目のなかの自分のおぼろな姿が、いまこの瞬間にステキであるかどうかのぞきこんでみるのだった。コニーは自分が美人であることを知っていたし、それだけで十分だったのだ。アルバムのスナップが信頼できるものだとしたら、ではあったのだが、母親も昔は美しかった。だがいまや美貌は過去のもの、だからこそコニーについてまわるのである。

「どうしてあなたはお姉ちゃんみたいに部屋を片づけられないの? その髪はどうしたのよ、その臭いはいったい何? ヘア・スプレー? お姉ちゃんがそんなガラクタを使ってるところなんて、あなただって見たことないでしょう?」

 姉のジューンは二十四歳だったが、まだ家にいた。コニーの通っている高校で事務員をやっているのだが、同じ建物にブスで小太りでクソまじめな姉といるというだけで十分ひどいことなのに、その上、母や叔母がのべつまくなしに姉のことを褒めるのをコニーは聞かなくてはならない。ジューンがあれをした、ジューンがこれをした、ちゃんと貯金もしているし、家の掃除や料理のお手伝いもしてくれる、なのにコニーときたら何一つできないんですからね、あの子にできることといったら、くだらない夢みたいなことで頭をいっぱいにするだけ。父親は一日のほとんど、仕事に出かけており、家に帰ればすぐに食事にしたがる癖に、食べるときには新聞を読みながらだったし、食事がすめば、ベッドに入るのだった。家族とわざわざ話をするつもりもない父親だったが、うつむいて食事を取っている横で、母親はコニーに小言をいつまでも続けるために、コニーは、ママなんか死ねばいい、そうしてあたしも死んで、何もかもが終わりになっちゃえばいい、と思うのだった。

「ときどき、ママのせいで、おえっとなりそうになっちゃうのよ」コニーは友だちにこぼした。高い、息を弾ませたような、おもしろがっているような声をしていて、コニーが何か言うと、まじめなときもそうでないときも、いささか無理に声を出しているような感じがした。

 ひとつ、良いこともあった。ジューンは自分の女友だち、彼女と同じくらいブスでお堅い女の子たちと出かけたために、コニーが出かけたがっても、母親はそれに反対するわけにはいかなかったのである。コニーの親友の父親が五キロほど離れた街に車で連れて行き、ショッピングセンターでおろしてくれたから、彼女たちは店をのぞいたり、映画を見に行ったりもできた。十一時になると、またそのお父さんが迎えにきてくれるのだが、その人は何をしてたんだ、などということを聞いて、娘たちをうんざりさせるようなまねはしないのだった。

(この項つづく)