陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

飲んだり飲まれたり

2008-05-20 23:11:14 | weblog
わたしはたとえライトビールであろうが、カンパリソーダであろうが、アルコール関係は一切ダメなので、年に一回か二回、お酒の席につきあわなければならなくなると、楽しそうな人たちが少しうらやましくなる。

飲まないといっても宗教的な理由を初め、さまざまなことで「わたしはダメだから」と、口をつけたこともない人もいるのだろうが、わたしの場合はもちろんちゃんと実証の結果、そういう結論に至ったのである。

子供のころからナマコの酢の物とか、カラスミとか、いわゆる「酒のつまみ」と呼ばれるものが好きで、親戚が集まる席では、よく「この子は将来酒飲みになる」と何の根拠もない断言をされていた。酒のつまみが好きだから酒飲みになる、という因果言明には、かなり早い時期から疑問を感じてはいたが、やがて長ずるに、「いかにも強そう」という評価まで加わって、法事などの際に集まった親族に、毎年将来を嘱望(?)されていたのだった。

最初の実証に関しては、法定年齢に満たない時期であったので、詳細はあまりあきらかにしたくないのだが、まあよくある話で、試験前に友だちの家でみんなで泊まり込みで勉強する、と親を騙して集まって……というパターンである。コップに半分ほどビールを飲んで、苦くておいしくないな……と思っていたら、しばらくして急に心臓がばくばく言い始め、脳貧血状態になって、ぱたんと倒れてしまった。小一時間ほどして大丈夫になったが、それまでずっと横になっていたのである。ところがわたしが起きあがれる状態になったところで、もうひとり、わたしと同じくそのときがビールを飲んだ初めて、という子が、それまでぐいぐい飲んでいたものを全部ぶちまけてしまったのである。人間の胃袋にはこんなにたくさんのものが入っているのか、と感じた経験であった。その家では教科書を開くどころの騒ぎではなかったのは言うまでもない。

二度目の経験もやはり法定年齢に満たなかったのだが、今度は大学に入ったから、そろそろ大丈夫かな、と、あまり根拠もなくそう考えたのである。このときは、かなりおそるおそる、それも口当たりの良いカンパリソーダだったのだが、案の定、飲んで十五分ほど経ったら、やはり脳貧血を起こしてしまった。さすがにあらかじめ心づもりをしていたので、倒れるような事態にはいたらなかったが。

やがておおっぴらに飲める年齢になったが、おそらく脳貧血と法定年齢のあいだに因果関係はなかろうと思うと、三度目を試してみる気にはなれずにいる。脳貧血は起こしたことのある人であればわかると思うのだが、一時的なものとはいえ、かなりそのときは苦しい。だから、きっとアルコールとわたしの親和性は低いのだ、と思うことにしている。

だからわたしは酒の席でもまったく同じ人格のままなのだが(当たり前だ)、たまにアルコールが入ると人格が変わる人を見かける。ふだんは寡黙な人が、急に饒舌になったり、ふだんから説教臭い人が、タガがはずれるほどに説教臭くなったり、やたらべたべた触りたがる(ちなみに女性)人もいれば、「ごめん、あのときはあんなことを言ってほんとうに悪かった」と涙ぐむ人もいる。どちらかといえば、ふだん自制心の強い人の方が、そういうときの落差が大きいような気がする。別に酒の席で本音が出るとは思わないし、どちらがその人の「ほんとう」かと聞かれれば、やはり日常の自制している姿が「ほんとう」なのだろう(あまり「ほんとう」という規定に意味があるとは思わないが)。あの人にこんな面があるんだ、と思うにせよ、それをあとで蒸し返して、本人に言うのは反則のような気がする。

ところで、山田風太郎の小説に『エドの舞踏会』という連作短編がある。明治もまだ浅い、鹿鳴館ができて間もない時代、海軍少佐山本権兵衛が、西郷従道(隆盛の弟で作品の舞台となる時期は、西南の役以後でで隆盛はすでにいない)に頼まれて、出席をしぶる大臣の妻たちを、鹿鳴館の舞踏会に勧誘してまわる、というのがおおまかな筋である。

それぞれの章で、井上馨夫妻や伊藤博文夫妻らが取り上げられ、明治維新の大立て者たちのもうひとつの顔が描かれていく。
そのなかに伊藤博文のあとに首相になった黒田清隆の章がある。

この黒田清隆が酒を飲むと人格が一変する、というより、ひどい酒乱なのである。

維新時の北越戦争、函館戦争の指揮を執り、西南の役には熊本城攻囲の敵を総体客におちいらせた衝背作戦の将となったかがやかしい軍歴を持ち、維新後は、みずから渡米して、ケブロン、クラークなどアメリカでも一流の偉材をひっぱってきて、北海道開拓のいしずえを築くという大功をたて、現存する薩摩人中第一の人物と目されながら、根まわしに巧みで万事ぬけめのない伊藤井上などにまんまと先を越されて、いまのところ中枢から押し出されたかたちなのは、一にも二にも酒のせいだといわれる。

 それは当人もきにしていて、宴会でも徳利の三本目くらいになると、「これから了介十分頂戴いたしたいと存ずるので、みなさん、あとはどうぞお構いなく」など神妙に挨拶するのだが、あっというまに限界を越え、すでに逃げ出して不在の人間を罵倒しはじめ、まだ残っている人間には執拗にからみ、その言辞は痛絶をきわめる。それどころか、十度に一度くらいはピストルをひねくったり、刀を持ち出したりするという。

 しかし。――

 おかしいことをいうようだが、それは清隆のある種の人の好さと弱気のせいではなかろうか、と権兵衛は考えた。
(山田風太郎『エドの舞踏会』)

その清隆が、あることをきっかけに酒を飲まなくなった。その顛末がこの章の中心なので、その点は伏せておくが(この本はとてもおもしろいのでぜひお読みください)、酒を飲まなくなって以降の清隆が、「酒が抜けると、彼は清新なアイデアマンたる前半生の特性を失って、空っぽの大入道と化した観があった」となってしまうのである。

もちろん山田風太郎の作品だから、フィクションがずいぶん混じっていることだろう。おそらくこの章の中心、なんとなくチャタレイ夫人と森番を思わせるふたりなどは純粋なフィクションなのだろうが、みずからの内の影の部分を圧殺してしまった結果、日の当たる部分も生彩を欠いてしまった、というのは何となくうなずけるのである(どこかに芥川龍之介の「酒虫」も感じられる)。

酒を飲んで人格が変わるような人は、自分のふだんは意識して抑えつけている部分を解放したりしているのだろう。そう考えると、酒乱はかなわないが、ときに酒を飲んで、そういう面を出すのも必要なことなのだろう。

それを考えると、楽しみをひとつ味わえないことが残念にも思えてくるのだが。