その3.
翌朝、姉のジューンが夕べの映画はどうだったの、と尋ねたので、コニーは「まあまあだった」と答えておいた。
コニーは昨日の子と、ときにはさらにもうひとり別の子も加わって、週に何度か出かけたが、それ以外の日には家にいて――いまは夏休みだったのである――、母親の邪魔をしたり、デートした男の子たちのことをあれこれ考えたり空想したりして過ごしていた。だが男の子たちはみんな記憶のなかで薄れていき、まざりあってたった一つの顔、顔というより実際にはイメージや雰囲気が、せきたてるような激しい音楽のリズムと湿った七月の夜の風とまざりあっていくように思えてくるのだった。母親はいつもコニーのあとをついてきては、昼の光のなかに戻そうと、用事を言いつけたり、脈絡なく「ペティンガーさんところの女の子はいったいどんな子なの?」と言ったりするのだった。
そんなときコニーは決まってぴりぴりした調子で「ああ、あの子。うすのろよ」と答えるのだった。コニーはいつも太い、はっきりした線を自分とその手の女の子たちのあいだに引いていたのだが、母親は単純かつお人好しにも、コニーの言うことをそのまま信じるのだ。ママったらほんとに単純なんだから、とコニーは考える、ママのことをバカにするなんて、ひどいことなのかもしれない。
母親は古ぼけた寝室用のスリッパをはいて家の中をペタペタと歩き回っては、自分の姉妹のうちのひとりに電話しては、姉妹の別のだれかの悪口を言い、さらにさっきまで悪口を言っていた当人を電話口に呼んで、向こうのふたりと一緒に、残るひとりの悪口を言う。そこにジューンの名前が出るときは、母の声の調子も満足の調子を帯び、コニーの名前は不満の意をこめて口にされる。だがそれも、別に母親がコニーを嫌っているからではなく、実のところ、コニーはわたしの方がジューンよりかわいがられている、それもわたしの方が美人だからだ、と思っていた。なのにママもわたしも、仲の悪いふりをしてる、ほんとはどうだっていいようなことで言い合ったりケンカしたりするような意識を持ち続けているんだわ。ときどき、一緒にコーヒーを飲んだりするようなとき、ほとんど友だちと言ってもいいような仲になったが、何かが――たとえば蠅が急に頭のまわりをぶんぶん飛び回るような、いらだたしいことが起こると、たちまちお互いの顔はこわばり、うんざりしてしまうのだった。
ある日曜日のこと、コニーは十一時に起きて――家には教会にわざわざ行くような人間はいない――髪を洗い、日向に出て一日がかりで乾かすつもりでいた。両親と姉は叔母の家でのバーベキュー・パーティに行く予定だったが、コニーは、わたしは行かない、と言った。そんなもの、興味ないんだもん。目玉をぐるりと回して、それが本心であることを母親に伝える。
「なら家にいなさい」母親は厳しい声で言った。
コニーは外に出て、芝生に置いた椅子に背中をあずけ、家族が出かけるのを見送った。物腰の穏やかな禿頭の父親は車を出すためにバックさせようと背中を丸めており、母親のまだ怒ったままの表情は、フロントガラスごしでもいっこうに和らいでは見えなかった。後部座席にはかわいそうなジューンが、叫び声をあげて走り回る子供や蠅だらけのバーベキューがどんなものか知らないとでもいうように、上から下までめかしこんでいた。
コニーは日差しのなかで目を閉じてすわり、夢うつつで自分を取り巻く暖かさにぼうっとなりながら、まるで日差しが一種の愛であるかのように、愛撫されているかのように感じていた。コニーの気持ちは昨晩一緒に過ごした男の子に漂い始め、彼がどれほどステキだったか、ずっとどれほど優しかったか。それもジューンが考える“ステキ”や“優しい”ではなく、映画に出てくるような、歌にも出てくるような“ステキ”や“優しい”なのだった。目を開けても自分がどこにいるかわからない、裏庭の向こうには雑草が生い茂り、木立が囲いのように続いていて、その向こうの空は抜けるほど青く、静かだった。
ひどく暑い日だった。家に入り、静かさをうち消すためにラジオをつけた。ベッドの端に裸足のまま腰をおろして、一時間半ほどXYZサンデー・ジャンボリーという番組に耳を傾けた。激しくテンポの速い、シャウトするような曲に合わせてコニーも歌い、レコードの合間に“ボビー・キング”の叫ぶ声が聞こえた。「さあ、よく聞いてくれ、ナポレオンの女の子たち――サンとチャーリーがこの新曲から目を離さないでくれ、と言ってるぞ!」
コニーが目を離さないでいたのは自分自身で、ゆっくりと湧き上がってくる喜びに浸っていたが、その喜びは、音楽のなかから密かに立ち上ってくるもののようにも、風の入らない小さな部屋に所在なく横たわっているようにも思えてきて、コニーがそっと息を吸ったり吐いたりするたびに、胸がかすかに盛り上がったりへこんだりするのだった。
しばらくして、私道に入ってくる車の音が聞こえた。驚いてぱっと立ち上がったのは、父親がそんなにすぐに帰ってくるはずがなかったからだ。外の通りから入ってくる私道にしきつめられている砂利がきしる音に――私道の距離は長い――、コニーは窓へ駆け寄った。知らない車だった。旧型のオープン・カーだ。明るい金色に塗った車体が、日を鈍く照り返している。胸がドキドキしはじめ、指を髪にからませて確かめながら、「どうしよう、どうしよう」とつぶやいた。きっとひどいざまじゃないかしら。車は勝手口のところで停まり、クラクションが短く四回聞こえてきた。まるでコニーがよく知っている合図であるかのように。
(この項つづく)
(※「鶏的思考的日常vol.19」更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html)
翌朝、姉のジューンが夕べの映画はどうだったの、と尋ねたので、コニーは「まあまあだった」と答えておいた。
コニーは昨日の子と、ときにはさらにもうひとり別の子も加わって、週に何度か出かけたが、それ以外の日には家にいて――いまは夏休みだったのである――、母親の邪魔をしたり、デートした男の子たちのことをあれこれ考えたり空想したりして過ごしていた。だが男の子たちはみんな記憶のなかで薄れていき、まざりあってたった一つの顔、顔というより実際にはイメージや雰囲気が、せきたてるような激しい音楽のリズムと湿った七月の夜の風とまざりあっていくように思えてくるのだった。母親はいつもコニーのあとをついてきては、昼の光のなかに戻そうと、用事を言いつけたり、脈絡なく「ペティンガーさんところの女の子はいったいどんな子なの?」と言ったりするのだった。
そんなときコニーは決まってぴりぴりした調子で「ああ、あの子。うすのろよ」と答えるのだった。コニーはいつも太い、はっきりした線を自分とその手の女の子たちのあいだに引いていたのだが、母親は単純かつお人好しにも、コニーの言うことをそのまま信じるのだ。ママったらほんとに単純なんだから、とコニーは考える、ママのことをバカにするなんて、ひどいことなのかもしれない。
母親は古ぼけた寝室用のスリッパをはいて家の中をペタペタと歩き回っては、自分の姉妹のうちのひとりに電話しては、姉妹の別のだれかの悪口を言い、さらにさっきまで悪口を言っていた当人を電話口に呼んで、向こうのふたりと一緒に、残るひとりの悪口を言う。そこにジューンの名前が出るときは、母の声の調子も満足の調子を帯び、コニーの名前は不満の意をこめて口にされる。だがそれも、別に母親がコニーを嫌っているからではなく、実のところ、コニーはわたしの方がジューンよりかわいがられている、それもわたしの方が美人だからだ、と思っていた。なのにママもわたしも、仲の悪いふりをしてる、ほんとはどうだっていいようなことで言い合ったりケンカしたりするような意識を持ち続けているんだわ。ときどき、一緒にコーヒーを飲んだりするようなとき、ほとんど友だちと言ってもいいような仲になったが、何かが――たとえば蠅が急に頭のまわりをぶんぶん飛び回るような、いらだたしいことが起こると、たちまちお互いの顔はこわばり、うんざりしてしまうのだった。
ある日曜日のこと、コニーは十一時に起きて――家には教会にわざわざ行くような人間はいない――髪を洗い、日向に出て一日がかりで乾かすつもりでいた。両親と姉は叔母の家でのバーベキュー・パーティに行く予定だったが、コニーは、わたしは行かない、と言った。そんなもの、興味ないんだもん。目玉をぐるりと回して、それが本心であることを母親に伝える。
「なら家にいなさい」母親は厳しい声で言った。
コニーは外に出て、芝生に置いた椅子に背中をあずけ、家族が出かけるのを見送った。物腰の穏やかな禿頭の父親は車を出すためにバックさせようと背中を丸めており、母親のまだ怒ったままの表情は、フロントガラスごしでもいっこうに和らいでは見えなかった。後部座席にはかわいそうなジューンが、叫び声をあげて走り回る子供や蠅だらけのバーベキューがどんなものか知らないとでもいうように、上から下までめかしこんでいた。
コニーは日差しのなかで目を閉じてすわり、夢うつつで自分を取り巻く暖かさにぼうっとなりながら、まるで日差しが一種の愛であるかのように、愛撫されているかのように感じていた。コニーの気持ちは昨晩一緒に過ごした男の子に漂い始め、彼がどれほどステキだったか、ずっとどれほど優しかったか。それもジューンが考える“ステキ”や“優しい”ではなく、映画に出てくるような、歌にも出てくるような“ステキ”や“優しい”なのだった。目を開けても自分がどこにいるかわからない、裏庭の向こうには雑草が生い茂り、木立が囲いのように続いていて、その向こうの空は抜けるほど青く、静かだった。
ひどく暑い日だった。家に入り、静かさをうち消すためにラジオをつけた。ベッドの端に裸足のまま腰をおろして、一時間半ほどXYZサンデー・ジャンボリーという番組に耳を傾けた。激しくテンポの速い、シャウトするような曲に合わせてコニーも歌い、レコードの合間に“ボビー・キング”の叫ぶ声が聞こえた。「さあ、よく聞いてくれ、ナポレオンの女の子たち――サンとチャーリーがこの新曲から目を離さないでくれ、と言ってるぞ!」
コニーが目を離さないでいたのは自分自身で、ゆっくりと湧き上がってくる喜びに浸っていたが、その喜びは、音楽のなかから密かに立ち上ってくるもののようにも、風の入らない小さな部屋に所在なく横たわっているようにも思えてきて、コニーがそっと息を吸ったり吐いたりするたびに、胸がかすかに盛り上がったりへこんだりするのだった。
しばらくして、私道に入ってくる車の音が聞こえた。驚いてぱっと立ち上がったのは、父親がそんなにすぐに帰ってくるはずがなかったからだ。外の通りから入ってくる私道にしきつめられている砂利がきしる音に――私道の距離は長い――、コニーは窓へ駆け寄った。知らない車だった。旧型のオープン・カーだ。明るい金色に塗った車体が、日を鈍く照り返している。胸がドキドキしはじめ、指を髪にからませて確かめながら、「どうしよう、どうしよう」とつぶやいた。きっとひどいざまじゃないかしら。車は勝手口のところで停まり、クラクションが短く四回聞こえてきた。まるでコニーがよく知っている合図であるかのように。
(この項つづく)
(※「鶏的思考的日常vol.19」更新しました。
http://f59.aaa.livedoor.jp/~walkinon/index.html)