今日からサキの短編「ビザンチン風オムレツ」の翻訳をやっていきます。
原文はhttp://haytom.us/showarticle.php?id=64で読むことができます。
ビザンチン風オムレツ(The Byzantine Omelete)
(前編)
ソフィー・チャトル=モンクハイムは思想信条に基づいて社会主義者となり、婚姻に基づいてチャトル=モンクハイム家の一員となった。この富裕な一族の一員たる夫君は、彼の親族が名だたる財産家に数えられるのと同様に大金持ちだったのである。ソフィーは富の分配ということに関しては、きわめて進歩的かつ明快な見解を持っていた。つまり、自分もまた裕福であるのは、喜ばしくも偶然の成り行きに過ぎない、と。社交界の集まりでも、フェビアン協会の会議で、資本主義の害悪を猛烈に批判しているときでも、あらゆる不平等と不正が渦巻いているにせよ、この体制が自分の生きているあいだは持ちこたえるだろうという安心感を手放したことはなかった。他人に繰りかえし説いている大いなる幸福が、仮に将来実現したとしても、自分はそのころにはもはや生きていまいと思えることは、中年の社会改革主義者にとって大きな慰めなのである。
ある春の夕刻、ほどなく夕食の時間になろうかという頃合いだった。ソフィーは鏡とメイドにはさまれて静かに腰をおろし、広く流行しているスタイルを巧みに反映した髪型に結ってもらっているところだった。あたりは平安に、努力と忍耐を重ねてやっと望みをかなえ、到達した地平がやはり望ましいものだった、とわかった人の平安である。シリア国王が賓客としてこの屋敷にお越しになることが決まり、しかもまさにいま、お着きになったところで、ほどなくダイニングルームの食卓の席に着かれようとしておられるのだ。正しき社会主義者のひとりとして、ソフィーは社会的差別は認めないし、王位などという概念を軽蔑していたが、現実にこうした人為的位階というものが存在している以上、高貴なる階級の高貴なる実例を、自分の屋敷で開かれるパーティに加えるということは、うれしいことであり、かつまた望ましいことでもあることに変わりはない。罪を憎んで人を憎まぬほどに寛容なる精神のもちぬしであったのだ――ほとんど知ることもないシリア国王に暖かい個人的な親愛の情を抱いているわけではなかったが、とはいえシリア国王としていらっしゃってくださるのだからこれほどありがたいことはない。なぜありがたいかを聞かれても答えようがなかったが、誰もそんな説明は求めなかったし、多くの女主人たちは彼女を大いにうらやんだ。
「特別に腕によりをかけてちょうだい、リチャードスン」満ち足りた調子でメイドに言った。「とびきりきれいにしておかなくてはね。みんながとびきりのところを見せなきゃならなくてよ」
メイドは何も答えなかったが、懸命なまなざしや、たくみな指さばきを見れば、彼女がとびきりのところを見せようとしているのはあきらかだった。
ドアをノックする音が聞こえた。落ち着いた音だが、無視されることがあろうとは毛頭思っていない者の居丈高な音だった。
「誰だか見てきてちょうだい」ソフィーが言った。「ワインのことかしらね」
リチャードスンはドアの向こうの姿を見せない誰かとあわただしく言葉を交わした。やがて戻ってくると、それまでのしゃきっとした態度はどこへやら、うってかわって物憂げな様子になっている。
「どうしたの?」ソフィーは尋ねた。
「奥様、屋敷の召使い一同『職場放棄』をすることになりました」
「なんですって?」ソフィーは叫んだ。「ストライキをやるっていうの?」
「そうでございます、奥様」リチャードスンはつけ加えた。「ガスペアが問題なのでございます」
「ガスペア?」いぶかしげにソフィーは言った。「臨時のシェフね! オムレツの専門家!」
「そうでございます、奥様。ガスペアはオムレツの専門家になる前、従僕をしておりましたが、二年前、グリムフォード卿のお屋敷で一斉ストライキが行われたときにスト破りをした一員だったのでございます。召使いはみな奥様がガスペアをお雇いになったことがわかってすぐに、抗議の意をこめて『職場放棄』を断行することに決定いたしました。奥様に対しては不満はございませんが、ガスペアを即時解雇を要求しております」
(この項つづく)
原文はhttp://haytom.us/showarticle.php?id=64で読むことができます。
ビザンチン風オムレツ(The Byzantine Omelete)
(前編)
ソフィー・チャトル=モンクハイムは思想信条に基づいて社会主義者となり、婚姻に基づいてチャトル=モンクハイム家の一員となった。この富裕な一族の一員たる夫君は、彼の親族が名だたる財産家に数えられるのと同様に大金持ちだったのである。ソフィーは富の分配ということに関しては、きわめて進歩的かつ明快な見解を持っていた。つまり、自分もまた裕福であるのは、喜ばしくも偶然の成り行きに過ぎない、と。社交界の集まりでも、フェビアン協会の会議で、資本主義の害悪を猛烈に批判しているときでも、あらゆる不平等と不正が渦巻いているにせよ、この体制が自分の生きているあいだは持ちこたえるだろうという安心感を手放したことはなかった。他人に繰りかえし説いている大いなる幸福が、仮に将来実現したとしても、自分はそのころにはもはや生きていまいと思えることは、中年の社会改革主義者にとって大きな慰めなのである。
ある春の夕刻、ほどなく夕食の時間になろうかという頃合いだった。ソフィーは鏡とメイドにはさまれて静かに腰をおろし、広く流行しているスタイルを巧みに反映した髪型に結ってもらっているところだった。あたりは平安に、努力と忍耐を重ねてやっと望みをかなえ、到達した地平がやはり望ましいものだった、とわかった人の平安である。シリア国王が賓客としてこの屋敷にお越しになることが決まり、しかもまさにいま、お着きになったところで、ほどなくダイニングルームの食卓の席に着かれようとしておられるのだ。正しき社会主義者のひとりとして、ソフィーは社会的差別は認めないし、王位などという概念を軽蔑していたが、現実にこうした人為的位階というものが存在している以上、高貴なる階級の高貴なる実例を、自分の屋敷で開かれるパーティに加えるということは、うれしいことであり、かつまた望ましいことでもあることに変わりはない。罪を憎んで人を憎まぬほどに寛容なる精神のもちぬしであったのだ――ほとんど知ることもないシリア国王に暖かい個人的な親愛の情を抱いているわけではなかったが、とはいえシリア国王としていらっしゃってくださるのだからこれほどありがたいことはない。なぜありがたいかを聞かれても答えようがなかったが、誰もそんな説明は求めなかったし、多くの女主人たちは彼女を大いにうらやんだ。
「特別に腕によりをかけてちょうだい、リチャードスン」満ち足りた調子でメイドに言った。「とびきりきれいにしておかなくてはね。みんながとびきりのところを見せなきゃならなくてよ」
メイドは何も答えなかったが、懸命なまなざしや、たくみな指さばきを見れば、彼女がとびきりのところを見せようとしているのはあきらかだった。
ドアをノックする音が聞こえた。落ち着いた音だが、無視されることがあろうとは毛頭思っていない者の居丈高な音だった。
「誰だか見てきてちょうだい」ソフィーが言った。「ワインのことかしらね」
リチャードスンはドアの向こうの姿を見せない誰かとあわただしく言葉を交わした。やがて戻ってくると、それまでのしゃきっとした態度はどこへやら、うってかわって物憂げな様子になっている。
「どうしたの?」ソフィーは尋ねた。
「奥様、屋敷の召使い一同『職場放棄』をすることになりました」
「なんですって?」ソフィーは叫んだ。「ストライキをやるっていうの?」
「そうでございます、奥様」リチャードスンはつけ加えた。「ガスペアが問題なのでございます」
「ガスペア?」いぶかしげにソフィーは言った。「臨時のシェフね! オムレツの専門家!」
「そうでございます、奥様。ガスペアはオムレツの専門家になる前、従僕をしておりましたが、二年前、グリムフォード卿のお屋敷で一斉ストライキが行われたときにスト破りをした一員だったのでございます。召使いはみな奥様がガスペアをお雇いになったことがわかってすぐに、抗議の意をこめて『職場放棄』を断行することに決定いたしました。奥様に対しては不満はございませんが、ガスペアを即時解雇を要求しております」
(この項つづく)