陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ジョイス・キャロル・オーツとボブ・ディラン

2008-05-13 23:08:35 | weblog
このところ、ひとつ厄介な用事を抱えていて、やっとそれも片付いたので、このあいだからぼちぼち続けていたジョイス・キャロル・オーツの「これからどこへ行くの、いままでどこにいたの?」もアップできると思う。

"Where Are You Going, Where Have You Been?"は、日本ではずっと以前に訳されたきりで、本にもなってなかったし、アンソロジーにも収められていなかったので、ぜひ訳さなくては、と思っていたのだが、なんとなんと、柴田元幸の訳でちゃんと翻訳がでていたのだった(『現代アメリカ幻想小説集 どこにもない国』松柏社)。おそろしいことをしてしまった……。読みくらべて誤訳がいっぱいある、なんて笑わないでね。

さて、その本は未見なのだが、「幻想小説」といっても、この作品は、いわゆる「幻想小説」というのとはずいぶんちがうような気がする。

この「アーノルド・フレンド」、つまりは " An Old Friend"(古い友だち、昔なじみ)は、ほんとうに人間なのだろうか。足がブーツに合ってない、という描写が何度か出てくるのだか、おそらくそのなかには人間の足ではなく、山羊の蹄という含意があるはずだ。
悪魔が来たりて笛を吹く……、ではなくて、ディランの歌にのってドライブに誘いにくるのだから、幻想小説ということに文句のつけようがあるわけがない。にもかかわらず、ちょっとちがうような気がするのだ。

一方で、ジョイス・キャロル・オーツは実際に起こった殺人事件をもとにこの作品を書いたという。(※参照wikipedia)
チャールズ・シュミットという連続殺人犯の青年は、身長が低く(158センチぐらい)、カウボーイブーツに新聞紙を詰めてはいていたという。「アーノルド・フレンド」の根底には、このチャールズ・シュミットのイメージがあることにはまちがいない。

だが、オーツが書くのはノンフィクション・ノヴェルではない。オーツはおそらく現実のチャールズ・シュミットがどんな人物であるか、ほとんど興味は持っていないように思える。

この作品世界はあくまでも日常のアメリカである。郊外の、長い私道を持つしゃれた一戸建て。週末は、車でショッピングモールに連れて行ってもらう。そんな徹底してリアルな世界に、奇妙な人物が登場する。彼は悪魔なのか、それとも邪悪な意図をうちに秘めた人間なのか。邪悪な人間というのは、日常の存在なのか。日常の邪悪というのは、幻想の邪悪とどうちがうのか。こうしてリアルな世界が少しずつ揺らぎ始める。リアルな世界は、ほんとうにリアルなのか。徹底してリアルだからこそ、幻想がそこに生まれる余地がでてくる。そういう意味での「幻想」なのかもしれない。

さて、この作品は、同時にオーツがボブ・ディランの "It's All Over Now, Baby Blue" という歌にインスパイアされて作ったのだという。
"It's All Over Now, Baby Blue"というのはこんな歌。

http://www.youtube.com/watch?v=YN25Pp0hrOM&feature=related

It's All Over Now, Baby Blue

You must leave now, take what you need, you think will last.
But whatever you wish to keep, you better grab it fast.
Yonder stands your orphan with his gun,
Crying like a fire in the sun.
Look out the saints are comin' through
And it's all over now, Baby Blue.

 おまえはここを出て行かなくてはならない、
  必要なもの、ずっととってけるようなものだけを持って
 だが手元においておきたいものなら、
  いそいでつかんで離さないことだ
 向こうに銃を持って立っているおまえのみなしごは
 太陽のなかの炎のように泣いている
 気をつけろ、聖者がやってくる
 さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー

The highway is for gamblers, better use your sense.
Take what you have gathered from coincidence.
The empty-handed painter from your streets
Is drawing crazy patterns on your sheets.
This sky, too, is folding under you
And it's all over now, Baby Blue.

 ハイウェイはギャンブラーたちのためにある
  自分のセンスを使った方がいい
 偶然集まったものだって持っておくんだ
 おまえの町の通りから来た手ぶらの絵描きは
 おまえのシーツに狂った模様を描いている
 空も、そうさ、おまえの下に折りたたまれていく
 さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー

All your seasick sailors, they are rowing home.
All your reindeer armies, are all going home.
The lover who just walked out your door
Has taken all his blankets from the floor.
The carpet, too, is moving under you
And it's all over now, Baby Blue.

 おまえの船酔いした船乗りたちは
  船を漕いで家に帰っている
 おまえのトナカイの軍隊も みんな家に帰っている
 ドアからちょうど出てきた恋人は
 床から毛布を全部取り上げた
 カーペットも一緒に、おまえの下で動いている
 さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー

Leave your stepping stones behind, something calls for you.
Forget the dead you've left, they will not follow you.
The vagabond who's rapping at your door
Is standing in the clothes that you once wore.
Strike another match, go start anew
And it's all over now, Baby Blue.

 踏み石なんかは放っておけよ
  おまえを呼ぶものがある
 おまえが置き去りにした死んだ人間のことも忘れてしまえ
  やつらはおまえについてはいかない
 おまえのドアを叩く放浪者は
 おまえが前に着ていた服を着て立っている
 もう一本マッチをするんだ、新しく始めろよ
 さあ、何もかも終わったんだ、ベイビー・ブルー


「さあ、何もかも終わったんだ」と呼びかけられたベイビー・ブルーは、あるいはコニーは、ここからどこへ行くのだろうか。