第四回
ふたりはことさらに意識しながら腕を組むと、口をきくこともなく、ベビーカーやよそゆきの服に身を包んだイタリア系の老人たち、スコッチテリアを連れて散歩する若い女が行き交うワシントン・スクウェア・パークを歩いていった。
「今日の試合、おもしろかったらいいわね」しばらくしてからフランシスはそう言ったが、その言い方は、朝食のときから散歩を始めて間もないころの調子を、精一杯真似ようとしたものだった。「わたし、プロ・フットボールの試合って好きなの。あの人たち、まるで自分がコンクリートでできてると思ってるみたいにぶつかり合うでしょ。タックルのときなんて」なんとかマイケルを笑わせようとして、そう言っていた。「芝生をえぐってしまうのよね。胸がどきどきしてくるわ」
「ひとつ言っておきたいんだが」マイケルはひどく真面目な声を出した。「ぼくはほかの女に、触れてもいない。この五年間、ずっとだ」
「わかったわ」
「信じてくれるね?」
「大丈夫よ」
ふたりは市立公園のみすぼらしい木立ちの下にある、人でいっぱいのベンチのあいだを抜けていく。
「なるべく気がつかないようにしてるの」フランシスはひとりごとのように言った。「なんでもないんだ、って信じようとしてるのよ。男の人のなかにはそういう人もいる、自分が少しずつなくしていってるものを、さがさずにはおれないんだって、自分に言い聞かせて」
「女だってそういうタイプはいるさ。これまでにも何人か、そういう女性を見てきたよ」
「わたし、ほかの男の人はひとりだって目もくれなかった」まっすぐ前を歩きながら、フランシスは言った。「二度目にあなたとデートしてからずっと」
「そんな法律はないぞ」
「体の奥の方が変な感じがするの。胃のあたりが、わたしたちが女の人とすれちがったとき、あなたがその人にじっと目をやってるのを見たときから。だってそれはあなたがわたしを最初に見たときの目と同じだったから。アリス・マックスウェルの家の居間で、ラジオの隣に立ってたわね。緑色の帽子をかぶって、みんなと一緒にいた」
「その帽子なら覚えてるよ」
「同じ目だった。だから気分が悪くなるのよ。ひどい気分」
「シーッ、頼むよ、もうおしまいにしよう」
「わたしも一杯飲みたい気分」
ふたりは八丁目のバーまで、黙ったまま歩いた。フランシスが縁石を越えて車道におりたときも、マイケルは機械的に手を貸して、停まった車の前を過ぎる。コートのボタンをかけながら、よく光る重い茶色の靴に目を落としたまま、バーに向かった。バーでは日の差しこんでくる窓ぎわの席に腰を下ろし、暖炉には小さな火が踊っていた。小柄な日本人のウェイターがやってきて、プレッチェルを置くと、うれしそうな笑顔をふたりに見せた。
「朝食後の一杯は何にする?」マイケルは尋ねた。
「ブランデーね」フランシスは言う。
「クールヴォアジェを」マイケルはウェイターに言った。「クールヴォアジェを二杯」
ウェイターがグラスを運んでくると、ふたりは陽差しのなか、そのブランデーを飲んだ。マイケルは半分飲んだところで、水を少し口に含んだ。
「ぼくは女を見る。確かにそうだ。それが良い、悪いなんて言うつもりはない。ただ見るんだ。通りですれちがって見なければ、それはきみを騙してるってことだ。自分も騙してるってことだ」
「あなたはそのひとたちをほしくてたまらない、っていうふうに見るわ」フランシスはブランデーグラスをいじりながら言った。「どの人に対しても」
「ある意味では」マイケルの言い方は穏やかだったが、妻に向かって言っているのではなかった。「ある意味ではそのとおりだ。何かしようというのではない、でも、そのとおりだ」
「わかってる。だから気分が悪くなるの」
「ブランデーをもう一杯」マイケルは声をあげた。「ウェイター、ブランデーをもう二杯だ」
「どうしてわたしを傷つけるようなことをするの? あなた、何がしたいの?」
マイケルはため息をつくと、目を閉じ、指先で両眼をそっとこすった。「ぼくは女の顔つきが好きなんだ。ニューヨークで一番好きなことのひとつが、女が大勢いることだ。オハイオから初めてニューヨークに来たとき、最初に気がついたのがそのことだよ。何百万人というとびきりきれいな女がいる、街中に。歩きまわりながら、心臓がドキドキしていた」
「子供みたい。まるで子供がそう思ってるみたい」
「そうなんだろうか」マイケルは言った。「ちょっと考えてみてくれよ。ぼくも歳を取った。じき、中年になるし、少し太ってきた。それでも五番街の午後三時、東側の五十丁目から五十七丁目にかけて歩くのが大好きなんだ。その時間帯はみんな外に出ている。自分たちは買い物をしている、と思いこんで、毛皮を着て、バカみたいな帽子をかぶって、世界中からその八ブロックに集まってくる。最高の毛皮、とびきりの服、最高の美女たちが。彼女たちは金を使って、そのことに満足して、冷たい目で人を見る。わたしはすれちがう人なんてだれも目もくれないわ、なんて重いながら」
(明日最終回)
ふたりはことさらに意識しながら腕を組むと、口をきくこともなく、ベビーカーやよそゆきの服に身を包んだイタリア系の老人たち、スコッチテリアを連れて散歩する若い女が行き交うワシントン・スクウェア・パークを歩いていった。
「今日の試合、おもしろかったらいいわね」しばらくしてからフランシスはそう言ったが、その言い方は、朝食のときから散歩を始めて間もないころの調子を、精一杯真似ようとしたものだった。「わたし、プロ・フットボールの試合って好きなの。あの人たち、まるで自分がコンクリートでできてると思ってるみたいにぶつかり合うでしょ。タックルのときなんて」なんとかマイケルを笑わせようとして、そう言っていた。「芝生をえぐってしまうのよね。胸がどきどきしてくるわ」
「ひとつ言っておきたいんだが」マイケルはひどく真面目な声を出した。「ぼくはほかの女に、触れてもいない。この五年間、ずっとだ」
「わかったわ」
「信じてくれるね?」
「大丈夫よ」
ふたりは市立公園のみすぼらしい木立ちの下にある、人でいっぱいのベンチのあいだを抜けていく。
「なるべく気がつかないようにしてるの」フランシスはひとりごとのように言った。「なんでもないんだ、って信じようとしてるのよ。男の人のなかにはそういう人もいる、自分が少しずつなくしていってるものを、さがさずにはおれないんだって、自分に言い聞かせて」
「女だってそういうタイプはいるさ。これまでにも何人か、そういう女性を見てきたよ」
「わたし、ほかの男の人はひとりだって目もくれなかった」まっすぐ前を歩きながら、フランシスは言った。「二度目にあなたとデートしてからずっと」
「そんな法律はないぞ」
「体の奥の方が変な感じがするの。胃のあたりが、わたしたちが女の人とすれちがったとき、あなたがその人にじっと目をやってるのを見たときから。だってそれはあなたがわたしを最初に見たときの目と同じだったから。アリス・マックスウェルの家の居間で、ラジオの隣に立ってたわね。緑色の帽子をかぶって、みんなと一緒にいた」
「その帽子なら覚えてるよ」
「同じ目だった。だから気分が悪くなるのよ。ひどい気分」
「シーッ、頼むよ、もうおしまいにしよう」
「わたしも一杯飲みたい気分」
ふたりは八丁目のバーまで、黙ったまま歩いた。フランシスが縁石を越えて車道におりたときも、マイケルは機械的に手を貸して、停まった車の前を過ぎる。コートのボタンをかけながら、よく光る重い茶色の靴に目を落としたまま、バーに向かった。バーでは日の差しこんでくる窓ぎわの席に腰を下ろし、暖炉には小さな火が踊っていた。小柄な日本人のウェイターがやってきて、プレッチェルを置くと、うれしそうな笑顔をふたりに見せた。
「朝食後の一杯は何にする?」マイケルは尋ねた。
「ブランデーね」フランシスは言う。
「クールヴォアジェを」マイケルはウェイターに言った。「クールヴォアジェを二杯」
ウェイターがグラスを運んでくると、ふたりは陽差しのなか、そのブランデーを飲んだ。マイケルは半分飲んだところで、水を少し口に含んだ。
「ぼくは女を見る。確かにそうだ。それが良い、悪いなんて言うつもりはない。ただ見るんだ。通りですれちがって見なければ、それはきみを騙してるってことだ。自分も騙してるってことだ」
「あなたはそのひとたちをほしくてたまらない、っていうふうに見るわ」フランシスはブランデーグラスをいじりながら言った。「どの人に対しても」
「ある意味では」マイケルの言い方は穏やかだったが、妻に向かって言っているのではなかった。「ある意味ではそのとおりだ。何かしようというのではない、でも、そのとおりだ」
「わかってる。だから気分が悪くなるの」
「ブランデーをもう一杯」マイケルは声をあげた。「ウェイター、ブランデーをもう二杯だ」
「どうしてわたしを傷つけるようなことをするの? あなた、何がしたいの?」
マイケルはため息をつくと、目を閉じ、指先で両眼をそっとこすった。「ぼくは女の顔つきが好きなんだ。ニューヨークで一番好きなことのひとつが、女が大勢いることだ。オハイオから初めてニューヨークに来たとき、最初に気がついたのがそのことだよ。何百万人というとびきりきれいな女がいる、街中に。歩きまわりながら、心臓がドキドキしていた」
「子供みたい。まるで子供がそう思ってるみたい」
「そうなんだろうか」マイケルは言った。「ちょっと考えてみてくれよ。ぼくも歳を取った。じき、中年になるし、少し太ってきた。それでも五番街の午後三時、東側の五十丁目から五十七丁目にかけて歩くのが大好きなんだ。その時間帯はみんな外に出ている。自分たちは買い物をしている、と思いこんで、毛皮を着て、バカみたいな帽子をかぶって、世界中からその八ブロックに集まってくる。最高の毛皮、とびきりの服、最高の美女たちが。彼女たちは金を使って、そのことに満足して、冷たい目で人を見る。わたしはすれちがう人なんてだれも目もくれないわ、なんて重いながら」
(明日最終回)