陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「金婚旅行」その7.

2007-10-27 22:55:30 | 翻訳
第七回

 そのうち女どもが公園にやってきたんだが、わしはこんな勝負のことなんぞはちっともしゃべる気はなかったんだ。言い出したのはハーツェルの方さ。この旦那には手も足も出ない、とね。

「まあ」と言い出したのは、ハーツェルのかみさんだ。「チェッカーなんて、ほんと、たいそうなもんじゃないでしょ? 子供の遊びみたいなもんよ。うちの子だってちっちゃな時分、よく遊んでいたじゃない?」

「そうですな、奥さん」とわしは答えた。「ご主人の腕前なら、子供の遊びというところだろうなあ」

かあさんはとりなそうと思ったんだろう、こう言った。

「たぶん、ほかのことならフランクの方が上を行くでしょうよ」

「そうね」とハーツェルのかみさんも言った。「蹄鉄投げじゃ、うちの人がひけを取るようなことはないと思うわ」

「さて」とわしは言った。「やってみてもいいんだが、なにしろわしはもう十六年も投げちゃおらんからなあ」

「そうさ」と今度はハーツェルが言った。「わしだってチェッカーをやったのは二十年ぶりだ」

「おや、わしはまた今日が初めてかと思ったよ」

「とりあえず」とやつは言った。「ルーシーとわしはファイヴ・ハンドレットであんたの上を行ったがな」

 まあな、それが誰のせいか言ってもよかったんだが、わしには自分の舌を押さえつけておくぐらいの礼儀は備わっているからな。

 ともかくそういったことになったものだから、ハーツェルは毎晩トランプをやりたがるし、わしかかあさんが映画に行きたいようなときは、どっちかが頭が痛いことにして、女神様を頼みに、うまく連中に見つからないようにこっそりと映画館に行ったのだ。なにもトランプがきらいなわけじゃない、ただ組む相手にはゲームに気持ちを向けてもらいたいだけさ。だがハーツェルのかみさんのような女と組まされて、二、三秒おきにグランド・ラピッズの息子の自慢話を聞かされては、どうやってトランプができると言うんだ?

 さて、ニュー・ヨーク-ニュージャージー州人会は社交の夕べを催すことになったんで、わしはかあさんにこう言った。

「なあ、その晩だけは、わしらもファイヴ・ハンドレッドをしない口実があるわけだ」

「そうねえ。だけどフランクと奥さんの方を、ミシガンの州人会にご一緒しませんか、と誘わなきゃならないじゃありませんか」

「まあな」とわしも言った。「あんなおしゃべりをどこへでも連れていくぐらいなら、わしは家にいた方を選ぶね」

するとかあさんはこんなふうに答えた。

「あなた、だんだん偏屈になってきたみたいよ。確かにあの人はちょいとばかりおしゃべりが過ぎるけど、心根は優しい人です。それにフランクはいつだって、一緒にいて楽しい人だし」

 だからわしは言った。

「そんなにいっしょにおって楽しいんなら、さぞかしやつと結婚したほうが良かったと思っておるのだろうな」

 かあさんは声を上げて笑うと、焼きもちを焼いてるみたい、と笑うんだ。まったくなにがうれしくて牛医者に焼きもちなんぞ焼かなくてはならんのかね。

 ともかくわしらはふたりを引っぱってその会に連れていき、わしらが連れて行かれたときよりはるかに楽しませてやったと言っていいだろうな。

 パターソンから来たレーン判事が景気についてためになる話をしてくれたし、ウェストフィールドのミセス・ニューウェルという人が、鳥の鳴き真似をした。こっちの物真似は、まちがいなくその人がやったとおり、本物の鳥の声に聞こえたよ。レッド・バンクから来た若いご婦人ふたりがコーラスをいくつか聞かせてくれて、わしらが拍手してアンコールをせがむと、今度は『故郷の山々』を歌ってくれて、かあさんとハーツェルのかみさんは目に涙を浮かべておったな。あと、ハーツェルもそうだった。

(おしゃべりなおじいさんの話はまだまだ続く)