陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

カニとダイコンとウニの話

2007-10-20 22:42:32 | weblog
山田風太郎の『風眼抄』のなかに、「蟹と大根」という短いエッセイがある。

風太郎は兵庫県の但馬地方の出身である。同じ但馬地方といっても、風太郎が生まれたのは養父(やふ)郡関宮村(現在は町)というところで、そこは中国山地に近い山中だったという。それが小学校の四年五年の二年間、海岸の村で過ごしたらしい。その二冬のあいだに食べた蟹の味噌汁がたいそうおいしかった。さらに、その「おいしかった」という記憶だけでなく、その味をずっと覚えていて、奥さんに言って「蟹の味噌汁」を作らせたのだそうだ。

ところがその「蟹の味噌汁」というのはこんなものらしい。
 それが甚だおかしいのだが、なんと大根の味噌汁がこの蟹の味噌汁とそっくりの味なのである。蟹と大根、いくら考えても似ても似つかないものだが、事実、よくある大根を千六本に切った味噌汁が、ふしぎなるかな蟹の味噌汁の味と一脈も二脈も通じるのだからしかたがない。
「これだこれだ」
というわけで、わが家で、
「オーイ、カニの味噌汁作ってくれ」
というと、実は大根の味噌汁のことなのである。
(山田風太郎『風眼抄』中公文庫)

のちに、但馬の蟹の味噌汁には大根が入っているから、という謎解き?がしてあるのだが、それにしても、大根の味噌汁を「蟹の味噌汁」と呼ぶのは、かなり、というか、ものすごく強引のような気がしないでもない。だってわたしもときどき大根を千切りにして味噌汁を作る(たいてい油揚げか、あるいはワカメと一緒に)けれど、どう考えても「蟹」の味とは思えないのだ。

この文章では、このあと、「舌の記憶は恐ろしいものだ。ふつうの記憶は忘れていることを、条件反射として舌がおぼえていたのだから」と続くのだが、これを果たして「おぼえている」といっていいものかどうか、悩ましいところである。

さて、小さい頃食べておいしかったもの、というと、思い出すのは父親が持って帰った寿司折りのウニの寿司だ。たぶん折り詰めはひとつだけ、それをみんなで分け合ったのだから、わたしが食べたのもふたつか三つだったのだろうが、そのなかにウニがあったのだ。

小学校の一年か二年で、それまで「ウニの軍艦巻き」というのは食べたことがなかった。とにかくそれを食べて、夢のようにおいしい、と思ったのだった。目の前が明るくなるほどおいしい、世界があざやかに見えるほどおいしい、ということもあるのだ、と。あんまりおいしかった、おいしかった、と繰りかえしていたらしい。それを見かねたか、父にその店に連れていってもらったのだ。たぶんそれが寿司というものをカウンターで食べた最初の経験である。とにかくウニばかり食べたような気がする。

精算のとき、一万円札を出して返ってきた千円札の枚数を見て、お寿司というのは高いものだ、と思ったのだった。だから、そのあともうその店に連れていってもらったことはなかったけれど、わたしも連れていってくれとは言わなかったように思う。

お札の顔から聖徳太子と伊藤博文が消えたいまでは、寿司も回転寿司の普及のおかげでずいぶん庶民的な食べ物になった。たまにわたしも行く機会があると、すこし値段の高い絵皿に乗って回ってくるウニをやはり一枚は取る。けれども、それは何皿か食べるうちのひと皿で、そのときの「夢のようにおいしい」味とは、まったくちがっているように思うのである。

これは「舌がおぼえている」ということなのだろうか。それとも「大根の味噌汁」を「蟹の味噌汁」と記憶してしまうような、捏造がつきものの「記憶」なのだろうか。ときどき考えてしまうのである。

山田風太郎の「蟹と大根」のつぎは、「昔のものはほんとうにうまかったか」というエッセイで、「あとになってから多分に粉飾された想い出で、それこそ人工着色するということもある」とちゃんと書いてある。確かに風太郎先生もわかっておられるのである。

※更新情報も書きました。
書きこみしてくださったhelleborusさん、Unknownさん、書きこみどうもありがとうございました。興味深く拝見しました。明日の朝ゆっくり返事を書きます。遅くなってごめんなさい。