陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

ベトナムからミャンマーへ

2007-10-10 22:23:41 | weblog
デービッド・ハルバースタムの『ベトナムの泥沼から』という本の表紙には、衝撃的な写真が使われている。結跏した人物が、燃え上がる炎に包まれているのである。
これは、1963年6月、南ベトナムで、政府の弾圧に抗議したベトナム人僧侶クアン・ドク師の焼身自殺の光景である。

「クアン・ドク師の焼身自殺の写真」(※本の表紙とは異なる)

当時、南ベトナムはアメリカの援助を受けたゴ・ディン・ジエムとその一族によって支配されていた。アメリカの後ろ盾はあったものの、ジエム政権は南部に支持者が多くいたわけではない。そこへ、ベトナムが南北に分断されたとき、共産主義者の迫害を怖れて南ベトナムに逃げ込んだカトリック教徒たちは、ジエムの熱狂的な支持者となったのである。こうしてカトリック教徒はベトナム政府に大きな影響力を持つようになっていったのである。

一方、多数派である仏教徒たちは迫害されるようになっていた。信教の自由を求めて抗議行動を始める。
 しかしジエム政権の最後の数年間に、仏教は、ゴ一族に反対の多くのベトナム人を引きつけ始めた。反対政党はなく、ゴ一族は、事実上、国内のあらゆる組織を支配していた。こういう状況下では、仏教は、カトリックではなく、ゴ一族の保護下になく、そしてそれが伝統的にベトナムのものであるという理由から、人々を引きつけるものをもっていた。
(デービッド・ハルバースタム『ベトナムの泥沼から』泉鴻之・林雄一郎訳 みすず書房)

こうした情勢を背景に、信教の自由がないことに抗議した焼身自殺が起こったのである。その場にかけつけたハルバースタムは、このときの状況をこう書いている。
 あとで、その男は仏教徒の行進に混って広場にキタクアン・ドク師という僧侶で、二人の僧にガソリンをかけてもらい、結跏を組んで座り、自分でマッチの火をつけたことを知った。身を焼いている間、彼は筋肉一つ動かさず、一声ももらさず、見たところは、泣きさけぶ周囲の人ときわめて対照的であった。私はそのときほど、相反する感情を同時に抱いたことはなかった。私の中の一部は火を消したがった。別のところは私に干渉する権利はないと警告し、一方は遅すぎたといい、別の方はお前は記者か、人間かと問いただしていた。

このときの劇的な写真は世界中に衝撃を与え、アメリカは援助していたゴ・ディン・ジェム政府に仏教徒と和解するように勧告する。ところがジエム政権はそれを無視したために、僧侶の焼身自殺は頻発するようになる。11月、ついにアメリカはジエム政権から手を引き、軍事クーデターによって、ジエム政権は倒れるのである。


本の表紙を見てぎょっとしたわたしは、この焼身自殺が「信教の自由」を求めたものであることにさらに驚き、現実にわたしたちが享受しながら、それを意識さえしたことのない「信教の自由」ということを改めて考えたのだった。

信仰というのが、自分の命よりも大切なものである、と考える人がいる。
だが、その自由が保障されている日本では、逆に「信仰」を自分の命よりも大切なもの、とする考え方は理解しにくいものだ。

自由がない状態での自由は、闘い取られるべきものである。「自由」は、すばらしいものであり、夢見る状態だ。けれど、それが現実になると、制約がないために、逆に何をすればよいのか、すべて自分で決めて行かなくてはならなくなる。自分は何をしたいのかさえ、はっきりしなくなる。
「自分の命よりも大切なものがあるか」と聞かれて、ないと答えるだけではなく、ある人がいることすらも、理解できなくなってしまう。

ミャンマーで起こっている暴動で、日本人が巻きこまれた。ミャンマー政府に対して抗議の意志を表明することは、必要なことなのかもしれない。
それでも、とわたしは思うのだ。

「自分の命よりも大切なものがある」と思っている人たちがいることを知る。「自分の命よりも大切なものがある」ことの大切さを、まず知る。
最低限「自由」を手に入れる前の状態があったことに思いを馳せる想像力は持っていたい。