陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

防空壕の記憶

2007-10-11 22:45:46 | weblog
小さい頃、母親の実家に行ったとき、近くの山腹に「防空壕のあと」といわれる穴があったのを覚えている。

実際にはその地域は空襲はなかったらしいのだが、10キロほど離れた場所では何度か空襲があったために、各家庭では防空壕を堀ったらしい。だが、戦争中はあちこちにあった防空壕も、戦争が終わると、端から埋められていったという。それがその場所だけはどうしてか、穴のあいたまま残っていた。記念に残しておく、という計画でもあったのかもしれない。

ともかく、わたしがそこに行ったときには、子供が入ったりしないように、手前に柵が張ってあった。それでも絶対に中に入ってはいけない、と口うるさく言われていて、その前を通りがかるだけで、なんだかドキドキしたものだった。怒られないように少し離れた場所から中をのぞいてみる。真っ暗なだけで何も見えなかったが、本を通じて戦時中の生活を少しは知っていたわたしは、自分と同じぐらいの子供がそこへ入るとしたら、夜などさぞ恐かっただろう、と思ったものだった。

伯母さんは小さい頃、何度か空襲の経験がある人だった。
空襲があるときは、たいてい通知があったという話だった。ビラが空から撒かれ、その日はみんな空襲に備えて、枕元に防空頭巾や持って逃げる手回りの品をつめたリュックサックを置いておき、服を着たまま眠ったという。

そのほかにも、大切なものは防空壕にいれたり、缶に入れて地中に埋めたそうだ。そのおばさんが庭に埋めた缶は、戦後になって掘り出そうと思ってもどうしても見つからず、残念だった、と繰りかえし言っていた。本とアルバムとレコードとお母さんの形見の真珠のネックレスを埋めたのだそうだ。
「みんなは、盗られた、言うとったけどね、わたしはまだそこに埋まっとるような気がするんよ。ときどき、夢にも見るわ」

わたしはそれを聞いたとき、自分なら何を埋めるか考えたものだった。
空襲で、家が焼けるかもしれない。何もかも燃えてしまうかもしれない。自分も死んでしまうかもしれない。それでもあとに残しておきたいものはいったい何だろう。わたしが生きた証となるようなもの。のちに掘り返しただれかが、わたしを思いだすよすがとなるようなもの。
そのとき、そこまで考えたとは思えない。だがそのときのわたしは、やはり本を選ぶと思ったことは覚えている。
当時は小学生で、本といっても、まだまだたいした本は読んでなかったような気がする。それでも、自分が考える一番大切なものは、やはり本だった。
もうそのころからすでに、本は活字が印刷してある紙をたばねたものとは思えなかった。その奧には何か別の世界、自分を超えた世界があると思っていたから。

防空壕といっても、外から見るそれは、ただの穴にしか見えなかった。その奧で人が寄り集まって難を避けるには、子供の目から見てもあまりにもたよりないもののように思えた。それでも当時、そこに入った人たちもいたのだろう。それがどのような気持ちだったか、どれだけ想像しても、わたしにはよくわからないように思えるのだった。穴の奧は、ただただ暗かった。