第五回
日本人のウェイターが飲み物をふたつ置いたが、その顔にはことのほか楽しそうな笑みが浮かんでいた。「飲み物はいかがですか?」
「申し分ない」マイケルが答えた。
「もし毛皮のコートを着た人がほんの二、三人しかいなくて、帽子も45ドルぐらいのものだったら……」
「毛皮のコートじゃないんだ。帽子でもない。そういうものはそんな女たちの背景に過ぎない。わかってくれよ。こういうことはわざわざきみに聞かせなきゃならないようなことじゃない」
「わたしは聞きたいの」
「ぼくはオフィスで働いている女が好きだ。きりっとしてて、眼鏡をかけて、頭が良さそうで、元気が良くて、なんでも知っていて、いつも自分のことを大切にしている」窓の向こうでゆっくりと歩いていく人々から視線を離さなかった。「四十四丁目をランチタイムに行き来する女もいい。女優たちさ、ドレスアップして、一週間何もせずぶらぶらしてるような女たち、顔立ちの整った男と話ながら、サルディ・レストランの外で、プロデューサーが目を留めてくれるのをまちながら、自分たちの若さと生き生きしたところを使い果たしている。メイシー・デパートのセールス・ガールも好きだ。彼女たちは客が男だと、女性客を待たせて、靴下や本やレコード針を種に、こちらの気を引こうとする。ぼくはこうしたことを全部、自分の内にたくわえてきた。十年間ずっとそのことを考えていたからなんだ。きみがそれを聞いてきたから、打ちあけたわけさ」
「続けて」
「ニューヨークというと、ぼくにとっては、女の子たち、ユダヤ系もイタリア系も、アイルランド系もポーランド系も、中国系も、ドイツ系も、黒人も、スペイン人も、ロシア人もみんなだ。ぼくだけ特別にそうなのか、それともニューヨークの男がみんなそういう思いを胸の内に秘めているのかどうかは知らない。それでも、ここでピクニックをしているみたいな気がするんだ。劇場で女が隣に来るのもいいものだよ。美人で有名な、六時間もかけてしたくをしてくるような女たちさ。フットボールの試合に来るような若い女の子もいい。頬を染めて。暑くなってくると、夏服の娘たち……」彼はブランデーを干した。「そういうことなんだ。聞いてきたのはきみだからね、忘れないでくれよ。ぼくは彼女たちを見ないではいられない。自分のものにしたいと思わずにはいられない」
「自分のものにしたいのね」フランシスは感情を交えない声でくりかえした。「やっぱりそうだったのね」
「そういうことだ」マイケルの口調は手厳しいもので、もはや容赦がなかった。彼女が暴き出したのだ。「きみがこの話題を持ち出したのだから、とことん話し合おうじゃないか」
フランシスもグラスを干したあとから、さらに二、三度、飲むような仕草をした。「わたしのことを愛してる、って言える?」
「愛してる。それでも、彼女たちがほしい。それでいいね?」
「わたしだってきれいよ。だれにも負けないくらい」
「きみは美人だよ」マイケルは本心から言った。
「あなたにふさわしいわ」フランシスは哀願するように言った。「奥さんとして申し分なかったと思うわ。家のやりくりもきちんとしたし、いい友だちでもあった。あなたのためだったら、なんだってするわ」
「わかってるよ」そう言うと、手を伸ばして、彼女の手を掴んだ。
「あなた、自由になりたいのね……
「シーッ」
「ほんとのことを言ってよ」下になっていた自分の手を引っこめた。
マイケルは指で自分のグラスの縁をはじいた。「そうだな」その口調は穏やかだった。「ときにはひとりになりたいこともある」
「そう」フランシスはむっとしてテーブルを叩いた。「いつでも言ってちょうだい……」
「バカなことを言うなよ」自分の椅子を彼女の側に傾けて、その腿を軽くたたいた。
フランシスはハンカチをおしあてて静かに泣きだし、バーのほかの客に気づかれないようにうつむいた。「いつか」彼女は泣きながら言った。「あなたは出ていってしまうのね……」
マイケルは何も言わなかった。バーテンダーがゆっくりとレモンの皮を剥くのを眺めている。
「そうでしょ」フランシスの声はかすれていた。「お願い、教えて。何か言って。そうなのね?」
「そうかもしれない」マイケルは言った。椅子の位置をもどす。「そういうことがどうしてぼくにわかる?」
「わかるわよ」フランシスは言い張った。「わからないわけがあって?」
「いや」しばらくのちにマイケルは答えた。「わかってる」
フランシスは泣きやんだ。二、三度ハンカチで鼻をかんで、それをしまうと、その表情からは何も読みとれなかった。「少なくとも、ひとつだけお願いを聞いて」
「もちろん」
「この女はきれいだとか、あの女はどうとか言うのはよして。きれいな目だとか、胸が大きいとか、スタイルがいいとか、声がステキだとかいうことも」と彼の口まねをした。「あなたの胸にしまっておいて。わたし、興味ないわ」
「悪かったね」マイケルは手を振ってウェイターを呼んだ。「自分の胸にしまっておくさ」
フランシスは目尻をこすった。「もう一杯、ブランデーを」ウェイターにそう言った。
「ふたつだ」マイケルが言った。
「はい、奥様、わかりました、旦那様」ウェイターは言うと戻っていった。
フランシスはテーブル越しに冷ややかな目差しをおくった。「スティーヴンソン夫妻に電話をかけてほしい? 郊外は気持ちいいでしょうね」
「そうだね。電話してくれよ」
フランシスは立ちあがってテーブルを離れると、バーの電話に向かって歩いていった。歩いていく姿を見ながら、マイケルは、なんときれいな娘だろう、いい脚をしている、と考えたのだった。
The End