陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「金婚旅行」その9.

2007-10-29 22:38:09 | 翻訳
第九回

 始まる前にかあさんはわしの背中を叩いて、頑張って、と言ってくれた。それから競技が始まったんだが、すぐにこりゃまずいぞ、と思ったね。というのも、なにしろ十六年ぶりということで、距離の感じがつかめないんだ。それに、ちょうど親指をつっこんだところの蹄鉄のめっきがはげておったものだから、二、三回、投げるか投げないかのうちに親指の皮がすりむけて、投げるなんてとんでもない、持ち上げるのさえ痛いのなんの、というありさまだった。 

 いや、実際ハーツェルの投げ方はいままで見たことがないほど不器用なもんで、てんで、わしにはかないそうにもなかったんだが、それがまた見たこともないほど運が良くてな、百五十センチか、百八十センチほども手前に落ちたくせに、跳ね上がって、杭にスポッとはいっちまうんだからなあ。そんなに運のいいやつはどうやったって負かせっこない。

 わしらの試合をかなりの人間が見ていたんだが、かあさんのほかにも四、五人のご婦人がいた。それがハーツェルのやつは投げるときに、かみ煙草を噛んでいたんだが、どっちに顔を向けて吐くか一向に気にかけちゃいないようすだった。だもんで、ご婦人たちもずっとヒヤヒヤしていたようだ。

 やつぐらいの歳になったら、ふつう、もっと礼儀というのは気にかけるもんじゃないのかね。

 ともかく、手っ取り早く言うと、わしがやっと距離感をつかみかけたころに、親指の怪我のせいで止めなければならなくなってしまった。怪我をした箇所をハーツェルに見せたが、やっこさんもわしがもう続行できないのはわかったんだろう、なにしろ皮がむけて、血がでていたんだから。たとえわしがそれをじっと我慢して続けようとしたところで、かあさんがわしの親指を見たなら、許さなかっただろうよ。だからわしは競技を止めたんだが、ハーツェルは、スコアは19対6だ、と言ったが、わしにとっちゃ知ったことではなかった。どうだってよかったんだ。

 それからかあさんとわしは家に戻った。そこで、わしは言ったんだ。ハーツェル夫婦にはうんざりだ、どうにかして縁を切るわけにはいかんかな、とな。ところがかあさんときたら、その晩もまたいつまでも続くトランプを、連中の家でやるという約束をしておったのさ。

 わしとしちゃ親指はズキズキ痛むし、気分だってあまり良くはなかった。きっと、だからなんだろうと思う、わしもちょっと上の空だったのさ。ともかく、トランプが終わりかけたころ、ハーツェルのやつがこんなことを言い出したんだ。いつもかあさんをパートナーにできるんだったら、もう絶対に負けたりしない、と。

 だからわしは言ってやった。

「まあな、あんたは五十年まえに、その絶対に負けたりしない相手と組めるチャンスがあったんだが、相手を押さえておけるほどの男じゃなかったってことだな」

 すぐに、しまった、と思ったよ。こいつは悪いことを言った、って。ハーツェルには言うべき言葉も見当たらなかったようだし、やつのかみさんも何も言えなくなってしまった。かあさんは、なんとかなだめようと、うちのひとはお茶より強いものを飲んだにちがいない、そうでなきゃあんなバカなことを言うはずがないから、なんて言ったよ。だがハーツェルのかみさんは、まるで氷山みたいにガチガチに凍ってしまって、帰っていくわしらに声一つかけなかったよ。わしらが出ていったあとで、さぞかしふたりは楽しい時間を過ごしたにちがいない。

そこを出るとき、かあさんはハーツェルに声をかけた。
「チャーリーが言った世迷い言なんて気にしないでね、フランク、あのひと、蹄鉄投げとトランプでさんざんあなたに負けたから、悔しくってあんなことを言っちゃったのよ」

 もちろんかあさんは、わしの口が滑ったことを取り直そうとしたんだが、もうひとつは確かにわしに腹を立ててたんだな。わしだって自分を抑えようとはしたんだが、ともかく、そこの家を出るかでないかのうちに、かあさんはすぐにそのことを持ち出して、わしがやらかしたことを責め立てた。

 だがな、そんなに叱られなきゃならないようなことをしたわけじゃない。だから言ったんだ。

「蹄鉄投げの名手で、トランプもうまい、そういうやつと結婚したら良かった、と思ってるんだろう」

「ふん、少なくともあの人は、親指をちょっとすりむいたぐらいで、投げるのをやめてしまうような赤ちゃんじゃありませんからね」

(この項つづく)