陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「金婚旅行」最終回おまけつき

2007-10-31 22:39:56 | 翻訳
最終回

 わしらがセント・ピーターズバーグにいられるのも二日を残すだけになった日、かあさんはわしに、ロードアイランド州キングストンから来たケンドール夫人を引き合わせた。足治療医のところで会ったらしい。

 それからケンドール夫人はご亭主を紹介してくれたんだが、食料品店をやっておるという話だったな。このふたりのあいだには、息子がふたりと孫が五人いるという話でな。息子のひとりはロードアイランドのプロヴィデンスに住んで、ロータリークラブの会員というだけじゃなく、エルクス慈善保護会でもかなりな地位を占めておるらしかった。

 このふたりは一緒にいて楽しい人たちでな、最後のふた晩、わしらは一緒にトランプをやったんだ。ふたりともなかなかのやり手で、ハーツェル夫妻より先に会っておればなあ、と思ったものだった。だがケンドール夫妻は来年の冬もまた来ると言っておったから、わしらがまた行くことにしたら、会えるってことだな。、

 わしらがサンシャイン・シティを出立したのは二月十一日の午前十一時のことだった。おかげでフロリダの昼を通っていったんで、州のいろんなところを見ることができた。なにしろ来たときは夜だったからな。

 ジャクソンヴィルに着いたのは、午後七時、そうして八時十分にそこを出発してから、ノース・カロライナのフェーエットヴィルには翌朝九時に到着した。そこからワシントンD.C.には午後六時半着、汽車は三十分遅れた。

 わしらがトレントンに着いたのは午後十一時一分だったが、あらかじめ娘と婿に電報を打っておいたので、汽車のところまで迎えに来てくれたよ。そこから娘たちの家に行ってその晩は泊めてもらった。ジョンの方は一晩中でも旅行の話を聞きたそうなようすだったが、エディが、疲れてるでしょうから、早く休んで、と言ってくれたのさ。

 そのつぎの日、わしらはそこからまた汽車に乗って、無事帰宅することができた。ちょうど一ヶ月と一日の外泊ということになる。

 おっと、かあさんが来た。わしもそろそろ黙るとするかな。



The End



最近のことなど

先日図書館に行ったら、貸し出し窓口のひとつを「おじさん」といったらいいのか、「おじいさん」といったらいいのか、まあ判断に迷うぐらいの年代の人が、窓口の人に文句を言っていた。どうやら予約をした本が、人気のあるベストセラーだったらしく、二ヶ月半(となんども繰りかえしていた)待ってもまだ読めない、それで市民の図書館といえるのか、ということらしかった。
その怒りはまあわからなくはないけれど、それを図書館の職員に訴えても仕方がないだろう。図書館というのは元来そういうものだからだ。売れ筋の本なら、二十冊くらい入ることもある。それでも貸出期限が二週間、その期間いっぱいに借りていたとして、予約順位が八位だったら、四ヶ月は待たなくてはならないのである。それが待てないというのなら、買えばいい。買いたくなければ、辛抱する。それが図書館というものではないか。

ところがそのおじさんは、カウンターを手のひらでばんばん叩いて、大きな声を出したり、あんたじゃ話にならん、館長を呼べといったり、どうしてそういうことを改善しようとせんのだ、と、くどくどねちねち大きな声で(「くどくどねちねち」と「大きい声」というのは形容矛盾と思われるかもしれないが、そのおじさんは確かにその矛盾するかにみえる双方の形容があてはまる言い方をしていたのである)文句を言っているのである。書庫請求をしたわたしは、かなり長いことその場にいたのだが、わたしがそこにいくだいぶ以前からいたらしいその人は、言いたいことはとっくに言ったはずなのに、ネタなど出し尽くした状態にもかかわらず、同じことを言い募っていたのだった。

以前、中島義道の『人を嫌うということ』という本を読んだときに、嫌うのは、好きになるのと同じくらい当たり前のことなのに、不当にも無視されてきた、という一節があって、ほんとうにそうだなあと思ったのだけれど、同じようなことが「怒る」ことについても言えるのではないか、と思ったのだった。

人を愛するということはいいことだ、とか、こんなふうに人を愛したらいい、とかいうハウツー本は山のようにある(読んだことはないが)のに、「こんなふうに怒ったらいい」「正しい怒り方」を指南してくれる本というのを見たことがない。
怒らないでいられる人はいない。怒るべきとき、というのもあるだろう。
だが、反面、どこまで怒るか、どこで止めるか、という判断を適切にすることはきわめてむずかしいのではないか、と思うのである。
日常の些細なトラブルに、怒りは役に立たない、ということを、たいていの人は知っているはずだ。それでも怒ってしまうのは、怒る必然がその人にあるからなのだろう。
実は、うまく怒る、というのは、ほんとうにむずかしいのではないか、と思うのだ。

わたしもこのあいだ、上・中・下の三巻本を借りようとして、三冊にカウントされたときは、思わずムッとしてしまって、上・下セット本は一冊の扱いではないんですか、と聞く、というか、問いただすような言い方をしてしまったのだった。
すると職員の人に、上・下本は一冊扱いですが、そういう処置は上・下だけに限られます、三分冊以上は一冊ずつとカウントしています、そうしないと、コミックス類など、きりがないですから、と言われてしまって、ああ、そうですか、とあっさり引きさがらないわけにはいかない経験をしてしまったのである。
そこでごねるようなことはしないけれど、やっぱりなんとなくおもしろくなかったのである。そういう「なんとなくおもしろくない」ときには、どんなふうに怒ったらいいんだろう。


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