陰陽師的日常

読みながら歩き、歩きながら読む

リング・ラードナー 「金婚旅行」その3.

2007-10-23 22:15:40 | 翻訳
第三回

 クリアウォーターで数人が下車し、ベルエアーでもそのぐらいが降りたが、ベルエアーじゃ汽車の後部車両が巨大なホテルの真ん前に来るようになっていた。そこはゴルフ好きの連中の冬の総本山みたいなところで、降りる客はみんな十本、十二本とクラブをぶちこんだバッグをさげておったな。女だろうが猫だろうが杓子だろうが。わしが若いころはシニーと言うておったが、クラブなんぞは一本しか必要なかった。わしらのやり方でやったことなら、一ゲームがあの洒落者連中の何ゲームにも相当するだろうな。

 汽車がセント・ピーターズバーグに着いたのは午前八時二十分だったが、わしらが降りてみると、暴動でも起きたかと思うような騒がしさだった。黒人のやつらが、くちぐちにいろんなホテルの名前を喚いておるのさ。

 わしは母さんに言った。

「わしらはどこにいくかもう決まっておるし、ホテルを選ぶ必要もなくて良かったなあ。みんながみんな、自分のところが最高と言っておるんだもの、選ぶのも骨だわな」

 かあさんは笑ったよ。

 わしらは小型の路線バスを見つけて、婿が手配してくれた家の住所を運転手に見せて、じきにそこへ着いてから、その家の持ち主のご婦人に、わしらが誰か伝えた。そのご婦人は若い未亡人で、四十八歳ということだった。わしらを部屋に通してくれたが、明るくて風通しのいい部屋で、寝心地の良さそうなベッドとタンスと洗面台がついていた。週十二ドル、だが場所が良かったからな。ウィリアムズ公園からたった三ブロックしか離れてなかったんだ。

 セント・ピートのことをそこの人間は「町(タウン)」と呼んでおるが、サンシャイン・シティ(市)ともいう。というのも、ここほどお天道様が母なる大地に微笑みかける日が多いところは、国中広しといえど、ほかにはないからなんだそうだ。新聞社のなかには、太陽の照らない日は新聞をただで配るというところまであったよ。それもなんと十一年間でただで配ったのはたった六十何回かっていう話だからなあ。そこはほかの呼び方もあって、「貧乏人のパーム・ビーチ」というんだ。だがそこに行く人間なら、もうひとつのパーム・ビーチに行くような連中とさしてかわらんぐらい、銀行は信用貸しをしてくれるような気がするがな。

 わしらがそこへおるあいだに、一度ルイス・テント村へ行ってみたんだが、そこは缶詰め旅行者協会の本部があるところなんだ。ああ、たぶんあんたは缶詰め旅行者協会なんて名前は聞いたことがないだろうな。ともかく、休みになると車に何やかや一式詰めこんで旅行に出かけるような連中の集まりなのさ。要するに、やっこさんたちは寝るためのテントも、車のなかで料理できるような道具も持っていて、ホテルや食堂を使わない。そうして心底からの自動車キャンプ愛好者でなければ入会できないんだ。

 会員は二十万人を越えるらしく、自分たちのことを「缶詰め屋」と呼んでおったよ。というのもやっこさんたちが食うほとんどは缶詰めにされたものだからなのさ。わしらがそのテント村で会ったなかに、テキサス州ブレイディから来たペンスさんという夫婦ものがいた。旦那の方は八十の坂を超えとったんだが、家からはるばる二千六百四十キロ九百三十三メートルの道のりを車で走ってきたんだそうだ。五週間かかったらしいが、道中ずっとミスター・ペンスが運転しておったんだと。

 缶詰め屋たちはアメリカ全土からやって来ておったが、夏にはニューイングランドや五大湖周辺を訪ねて、冬はフロリダに来て、州のあっちこっちに散らばるんだそうだ。わしらがそこにおるあいだにも、フロリダ州ゲインズヴィルでは全国集会があって、ニューヨーク州フレドニアの人物を会長に選出した。その肩書きというのが「世界缶切り王」というのさ。会には歌まであって、メンバーになろうと思ったら、それを覚えねばならんのだそうだ。
缶詰め自動車 永遠に! フレー、者ども、フレー!
奮い立て、缶詰めどもよ! 敵をうち倒せ!
キャンプファイヤーを囲んで集まろう
まらもう一度集まろう
声高らかに、「我ら缶詰め自動車、永遠に!」

 こんなふうな歌だったよ。そうして会員たちは缶詰めを自分の車に結わえ付けることになっておるのさ。

 わしはかあさんに、あんなふうに旅行してまわりたくないか、と聞いてみた。

「いいですよ。だけど頭のなかがカラカラ音をたててるようなひとの運転じゃ、いやだわね」

「だがわしはテキサスからずっと運転してきたペンスさんより八つも若いんだぞ」

「そうね。だけどあの人はあんたみたいに気ばっかり若いわけじゃないからね」

 まったくかあさんに勝てる者はおらんね。

(この項つづく)