今日は東の方で何やら結集会があるみたいですが、目にもしたくないので避難します。ランチに行ってこよーっと。
後、某俳優が例の界隈に火種を撒いたらしいけど(記事は読んでない)そもそもあの記者のブログにどれだけ信憑性があるか疑問だし、そこまで自分の足で取材してない気がする。関係者とか行きつけの店の証言とかいくらでも書けるよなー。それに人の記憶は当てにならないしまた聞きだからね。
私は春馬君と彼らの関係なんて実際どうだったかなんて興味もないし、皆、親友信仰しすぎじゃないかなって思う。名前のよく出るあの人達以外にも親しい人はたくさんいるのにね。充希ちゃんとの関係性だって彼女の本で初めてわかったくらいだしさ。
人間関係なんて時が経てば変わっていくし高◯優君との対談で最近は集まりに行かなくなったと語る優君に「僕もそうですよ」って答えているしね。でもコロナ禍で自宅待機を強いられてる中、山田親◯朗君達とzoomやってるし、画家の人やトレーナーの人とも食事したりしてる。この辺のエピソードを掘り下げずに店の人の証言だけで疎外感だのいじめだの決めつけるのは煽りにしか感じられないし、私は前から言ってるけど本当に信頼できる人は無闇に得体の知れない人(ここで言う芋◯さんね)にベラベラ喋らないと思うんだ。だからその飲食店の人もその程度の人だったって事で、春馬君の場合はプライベートで関わった人ほどいらんことを言う感じがある。
同じ芸能界で切磋琢磨した人はあまり語っていない。でも彼を大切に思ってる。これは私がそう思うだけだけど。
それにじゅんさんのブログやゆ◯の北川さんのインタビュー見ると当時の彼らの衝撃は相当のもんだったと思う。特に北川さんのは悲痛すぎて読んでてつらかった。
小◯さんはじゅんさんとLINEしてた時にニュースが飛び込んで来て、じゅんさんはその時の状態をホワイトアウトだったと書いている。
そのくらい身近な人にはショックだったんだよね。
なのに語らなければ何か隠蔽してるんじやないかって思われるのほんと不憫だ。
関係ない人ほど探ろうとするこの世の中、当人だけに焦点を当てるんではなくてその周りの人達の心情ももっと想像できたらなと思う。あの人達は妄想は出来てもそれが出来ていないから安易にいじめだなんだって感傷的に盛り上がるんだよね。もちろんマスコミは下劣だけれど、それに群がる人達の悪意なき好奇心も問題だと思う。
某漫画家が語っていたけど誰かの死ってみんなで泣いて受け入れて一区切り付けて次へ進むなんて軽いものじゃない。
(関わりのなかった人ならそれもあるかも知れない)
(でも身内や親しい人達は)受け入れてすぐに前なんて向けない。心に空いた穴は埋めようがないけどそれでも生きていかなきゃならないそこに強さを感じると。(カッコ内は私の主観)
その強さがカネ恋の四話放送やキンキーの再々演の実現なんだよね。
彼の意思を繋げて私達は生きていくって決意は穴が空いたままずっと続いていくんだ。
じゃあ部外者であるファンは何ができるかって言うとその時間を見ていくしかないんだよね。
彼はもういないから残してくれた物、意思を継いでくれた物、人達を見届ける事、そこに彼の思いを感じ大切に未来に届ける。
過去に何があったとかもう戻らない現実にさめざめ泣き暮らすより大事だと思う。
追記
さっき推しの家族の訃報を知った。
13日が一周忌だったそうだ。
Twitterで時々呟いていた同じ言葉は月命日だったからなんだな。
私は亡くなった翌月に舞台で彼を見ていた。つらそうな素振りなんて感じなかった。強い人だ本当に強い人、そんな彼が最後まで付き添った最愛の人もまた優しくて強い人だったんたろうなあ。
呟きを読んで涙が止まらなかったけど7月は彼の勇姿を見に行こうと思う。